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2016-08-30 13:10
国際二宮尊徳思想学会東京大会に参加して
池尾 愛子
早稲田大学教授
国際二宮尊徳思想学会(INSA)第7回大会が8月24-25日に、共通テーマ「『地域活成』と報徳--近世・近現代の諸相と課題」の下で東京で開催された。事前に登録した参加者は中国から41名、日本から131名のほか、登録なしで大会に出席した人々もいて、盛会であった。研究発表なしで中国から参加した研究者が多数いたのは、中国でも授業の無い夏休み期間(の終盤)だからとのことであった。次の大会が2018年に山東省の曲阜師範大学で開催予定であることも発表された。曲阜(きょくふ、Qufu)は孔子生誕地で、大会の様相は日本での開催とは異なることであろう。(INSAについては、2014年10月22-23日付本欄投稿「国際二宮尊徳思想学会について」等を参照のこと。)
INSAの中国側参加者には日本語教員が多く、二宮尊徳が教材に用いられているようである。確かに、中国語と日本語の間での言語文化の相違・差異を考察するために、尊徳は有益なように思われる。というのも、かつて中国語の漢字が日本語の中に導入(『輸入』)されたのであるが、漢字の持つ意味は日本語の中で変容し、そして日本生れの新たな「漢語」(概念)が中国語の中に再導入(『逆輸入』)されてきたことも事実だからである。また中国語ができる人たちに確認したところ、中国語の「恕」は「ゆるす」という意味なのだそうだ。日本語の「恕」は「他人の立場や心情を察すること」「思いやり」を意味し、英語では「empathy」(感情移入)に相当するので、「恕」の意味は幾らか変化したと言わざるをえない。さらに二宮尊徳(1787-1856)自身、儒学など中国文献を読破した貝原益軒(1630-1714)や石田梅岩(1685-1744)との共通点(倹約重視、「家」観念等)が多々ある一方で、この二人にはない近代的な思考(「低利での貸借」の勧め)を有している。もっとも(農民出身の)尊徳は「徳」の概念を中国語の「(儒者の)徳」(日本語の「学識」に近い)に比べて拡張したのであるが、天地(自然)に関連してまで「徳」を考えること(「自然の恵み」)は、中国側では受け容れ難いとのことであった。
今回の『地域活成』のテーマに応じて、中国の農村や農業金融の問題についての報告が注目された。中国では「三農問題」と呼ばれる、農民、農村、農業経営が抱える問題があるとされてきており、それに対して、政策がいろいろと工夫されてきているのである。日本からは、報徳にちなんだ明治期および現在の実践活動、地域リーダー達の主体的活動についての丁寧な報告があった。明治期に北海道で活動した二宮孫親は尊徳の孫にあたる。尊徳が近世の村や藩の経済改革に取り組んだ時には、毎回、事前の現地調査を十全に実施していたことが思い出されていた。村や藩の抱える問題は毎回違っており、解決策も毎回異なる部分が多かったのである。
2日目午後のシンポジウム「近世の遺産を近現代にいかにつなぐか」は、「徳」(学識)豊かな3人の日本人研究者によって進められ、それまでの基調講演と研究報告が見事に反映された。1930年代から1940年代前半の日本について、当時の報徳運動の負の側面を含めて真摯に語られ、中国側参加者から賛辞を得た。尊徳や直接の弟子達の教義と、1930年代に拡張された報徳教義に相違があることにも注意しなければならない。日本独特の「家」思想は江戸時代に整えられ、「家の存続」に重きが置かれて「子供」概念も誕生したようで、明治期以降、「金太郎」「金次郎」という理想の子供像とともに継承されたことも忘れてはならない。尊徳の仕事は「家」の再興でもあったからである。
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