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2016-06-23 13:21
ドイツ連邦議会のアルメニア人虐殺決議
倉西 雅子
政治学者
ドイツ連邦議会は、先日、1915年頃に発生したとされるオスマントルコ帝国によるアルメニア人虐殺事件について、この事件を“ジェノサイド”と認定する決議を採択したそうです。トルコとの関係悪化も指摘されておりますが、この決議、問題含みなのではないかと思うのです。
アルメニア人虐殺事件について、トルコ側は、この虐殺を歴史的事実としては認めておらず、ヨーロッパ諸国との間に“歴史認識”の違いがあります。この点は、日本国と中国との間の“南京虐殺事件”、並びに、韓国との間の“慰安婦事件”の構図と類似しています。
こうした“歴史認識”については、双方の主張の隔たりは埋めがたく、議論が平行線となりがちですが、唯一、“歴史認識”紛争を解決する方法があるとしますと、それは、裁判と同様に証拠主義に徹することです。つまり、事件の存在が証拠により証明され、客観的に事実として認められない限り、“史実”と断定することは控えるべきなのです。冤罪もあり得るのですから。司法における証拠主義、つまり、歴史問題における歴史実証主義の視点からしますと、アルメニア人虐殺事件については、ドイツが、現地調査を含めて徹底した検証を実施し、証拠等を収集したようにも見えません。また、当事国でもないドイツに調査権限があるとも思えず、一方的な主観による決議では、弁明の機会も与えられず、虐殺者と認定されたトルコ側が納得しないのも当然です。
検証なき断定による歴史問題の解決は、結局は、国際社会の火種として燻るものであり、否、それは、国家間の対立として表面化するリスクさえあります。この時期に、何故、ドイツ議会が敢えてアルメニア人虐殺決議を敢行したのか、その背景の分析も急がれますが、今般のドイツ連邦議会の決議は、“歴史認識”という魔物を呼び出したかのようです。虐殺は、非人道的な蛮行として批判されるべきではあっても、実証なき段階では、近代司法が否定した“政治裁判”になりかねないと思うのです。
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