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2016-05-31 18:51
ハーバードが教える危ない東洋哲学
倉西 雅子
政治学者
先日の日経新聞の読書欄に、ハーバード大学のピュエット教授が著した『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』が紹介されておりました。原題は、『道(The Path)』なそうですが、著者の理解によりますと、東洋思想は危険思想となりそうなのです。
紹介記事の表現を借りますと、本書では、東洋思想の人生観を、「社会は不平等であり、努力が報われるとは限らない。善が敗れて悪が栄える。そんな世界で調和と理想を追い求めてもむなしい。」と捉え、こうした無秩序な世界における処世術とは、「状況の複雑さや不条理な運命に向き合いながら、一つ一つ決断し、人生を絶え間なく修繕し続けるべき」と説いているそうです。
日本国では、儒教は、徳に価値を置いた秩序正しい社会の形成を促し、道を説く老荘思想も、個人主義的な人生探求の思想ではなく、自然無為のうちに天の道を体得することを目指す思想として、一般的には理解されています。まずは、日本国における東洋思想の理解とのギャップに驚かされるのですが、このビュエット氏の東洋思想の解釈にもとづく人生観、あるいは、世界観に最もよく当て嵌まるのは、古代中国ではなく、現代中国の政治指導者の思想です。南シナ海の中国による傍若無人な行動は、世界は無秩序であると決め込み、その中で自己の利益を最大化するために、自分勝手に利己的な“道”を切り開いているとしか見えないからです。本書は、学生やビジネスマン向けに著されていますが、この書に啓発された人々が、実社会においてこの所謂“東洋哲学”通りに行動するとしますと、法秩序を無視し、自己中心的に行動する人がさぞかし増えることでしょう。他者の迷惑省みず、なのです。
孔子も、老子も、荘氏も、自らの生きた時代の中国の悲惨な現状を憂い、ペン、否、筆をもって人間らしい社会のあり方を人々に示そうとしたのでしょう(もっとも、これらの思想そのものにも欠点も指摘されておりますが…)。思想の原点に帰りましても、東洋哲学が、憂うべき“悲惨な現実”をそのまま肯定し、自分だけの道を歩め、と説いたとは思えないのです。
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