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2016-04-22 17:53
“神の見えざる手”は不景気には“悪魔の見えざる手”に?
倉西 雅子
政治学者
“神の見えざる手”とは、18世紀イギリスの経済学者アダム・スミスが、『国富論』において自由主義経済に内蔵する自律的経済発展のメカニズムの本質を言い表わした言葉です。個々人の経済的利益の追求は、誰が導くでもなく、国を繁栄させ、国民生活を豊かにすると…。
スミス流の考え方は、景気が上昇傾向にある場合やフロンティアが広く開かれている場合の経済成長をよく説明します。実際に、アメリカをはじめ、スミス理論の通りに経済発展を遂げた国も珍しくありません。また、ソ連邦の崩壊は、政府による経済統制を是とする社会・共産主義の誤りを証明することにもなりました。誰もが、自由主義経済の優位を確信した瞬間となったわけですが、その一方で、勝者となった自由主義経済にも積み残した課題がないわけではありません。その一つは、不景気には、“神の見えざる手”が“悪魔の見えざる手”に反転してしまうという忌々しき問題です。
社会・共産主義では、経済の統制権を握る政府こそが、“悪魔の見えざる手”ならぬ、“悪魔の見える手”であり、経済停滞の原因は明白です。一方、自由主義経済では、誰に責任があるでもなく、マイナス心理が蔓延し、まさに市場において“悪魔の見えざる手”が働いているかの如くなのです。乃ち、不景気になりますと、誰もが守りに入り、賃金の低下、消費の低迷、投資の縮小、生産の減少、デフレ、失業…というように、負のスパイラルに陥ります。全ての人々の心理が負の方向に流れている状態では、悪循環から抜け出すことは至難の業となるのです。今日では、この問題を解決するために、政府は、財政や金融等の政策手段を総動員して景気刺激策を実施しています。しかしながら、その政策が、景気浮上に効果を発揮する“神の見える手”となればよいのでしょうが、政府の政策が悪手であれば、それこそ、今度は、“悪魔の見える手”に運命を委ねることにもなりかねません。
自由主義経済とは、連鎖的メカニズムに依存しているわけですから、政府が、政治的配慮からその一部だけに支援を実施しても、メカニズム全体がプラス成長に向けて動き出さなければ真の景気回復とはなり得ません。このように考えますと、政府を含め、企業から消費者に至るまで、経済活動に参加する全ての人々がそのメカニズムを理解し、“悪魔の見えざる手”、並びに、“悪魔の見える手”の出現を封じることこそ、肝要ではないかと思うのです。
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