ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2014-09-10 00:16
3年ぶりの中国訪問
池尾 愛子
早稲田大学教授
9月4日、3年ぶりに中国を訪問した。北京空港に着いたのが昼過ぎだったので、迎えに来てくれた人が買ってくれたマクドナルドのハンバーガーを、目的地の天津に向かう車の中で一緒に食べた。中国でハンバーガーを食べるのは初めてだが、ハンバーグの部分が白っぽいので鶏挽肉が入っているのではないかと思う。3-4年前に来た時、2008年8月の北京オリンピック開催までに美化が間に合わなかった建物には、大通りに面して張りぼてがあてがわれていたが、今ではその張りぼてが撤去され、改装・改築が施されて遅ればせながらではあるが見事な美化が実現していた。高速道路も整備が進み、立体交差がかなり取り入れられて、随分と様子が変わっていた。住宅用と思しき高層ビル群の建設が続いているのを目にした時には、一抹の不安を覚えた。
9月6日午前、南開大学の日本史・米国史・ラテンアメリカ史研究室成立50周年祝賀会が開催され、各研究室の現在に至るまでの歴史や新しい歴史の視点が披歴された。1964年、当時の周恩来首相の「外国研究を進めよう」との掛け声に応えて、同首相の出身大学でもある南開大学ではこれらの3つの研究室が設立されたとの説明だった。文化大革命の間の約10年間、研究は停滞したけれども、その後、関係者の研究に対する執念ともいえる忍耐強い努力により、これらの研究室は再建され徐々に発展拡大して、50周年を祝う事ができたのである。日本から4人の日本人研究者が、アメリカからは2人の研究者が、キューバからは1人(大使館員)が参加していた。1964年には各地で多くの外国研究機関が設立されたということだったが、ヨーロッパなど他地域の研究所については、尋ねてみても、分からないという返答がかえってきた。
9月6日午後と7日午前は、各研究院・センターに分かれて、国際シンポジウム「世界近代化過程における改革・社会変動とガバナンス」が執り行われた。中国では、国ごとあるいは言語ごとに外国についての研究所が設立運営されるのが大きな特徴となってきた。新装の日本研究院の建物で行われた国際シンポジウムは事実上、日中シンポジウムになった。中国各地の日本研究所のトップクラスの研究者が参加していたようだ。以前に比べ、落ち着いた和やかな雰囲気で研究発表と質疑応答が進行し、中国側の研究水準が随分向上したと感じられた。多くの発表があり、時間が不足気味だったことが惜しまれた。日本人の場合、中国では日本研究所や日本研究院と研究上の連絡を取ることになってきた。ある日本人経済学者が最後に、中国人日本研究者だけではなく、同種の志向を持つ中国人経済学者と話をしたい、と提案したが、どうなることであろうか。見守りたい。
留学生の数は、ベトナム人を含めて、増加しているという。ホテルとシンポジウム会場を往復するバスの窓から、迷彩服を着て軍事教練に励む新入生たちの姿が目についた。留学生を含む正規学生は全員、入学時に2週間の軍事教練を受けることが義務付けられているとのことであった。これは天安門事件直後に始まったようで、それ以来現在でも継続しているのである。今回の滞在の終り頃、持ち込んだ小型ノートパソコン「ウルトラブック」のスタート画面から、フェイスブック内の情報への「ピン留め」を外してみた。コンピュータが自動的にフェイスブックにアクセスしようとするようなので、あらかじめこの「ピン留め」を外しておいた方が良かったかもしれない。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:4819本
グローバル・フォーラム