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2014-05-12 06:48
安倍は、「公明見切り発車」も躊躇するな
杉浦 正章
政治評論家
首相・安倍晋三は今週、戦後維持してきた安保戦略の大転換に向けて歴史的一歩を踏み出す。集団的自衛権の行使容認に向けての憲法解釈変更に照準を定め、与党内の調整を本格化させる。その背景には極東情勢の激変があり、安倍は既に米国や東南アジアだけでなく欧州諸国にも公約として明示しており、大方の賛同を得ている。当面の焦点は、頑迷にも安保環境の変化を分かろうとしない公明党への説得だ。同党は来春の統一地方選への影響を掲げているが、これで妥協すれば今度は再来年の衆参ダブル選への影響を主張するに違いない。ことは国家の命運を決める問題であり、政党の離合集散や選挙協力とは次元が異なる。安倍は一定の調整工作を経たうえで、それでも反対するなら見切り発車をしてでも初心を貫くべきであろう。まず、集団的自衛権の行使容認が必要となった時代背景を分析したい。1946年の憲法公布後の政府の憲法解釈は一切の自衛権も保有できないというものであったが、50年の朝鮮戦争勃発と東西冷戦構造の顕在化で54年に吉田内閣が自衛のための必要最小限の自衛権を認める方向に180度の大転換をした。自衛隊法と防衛庁設置法、いわゆる「防衛二法」を公布、自衛隊を発足させたのだ。その後72年に佐藤内閣が国会対策上の都合もあって、必要最小限の自衛には個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を内閣法制局に提出させた。当時から内閣法制局は政権の言うがままに憲法解釈を変更してきており、「内閣の三百代言」と言われてきた。それ以来解釈は定着したが、しょせん安全保障問題には素人の法制局であり、時代を取り巻く環境への対応はなかなかできないで今日に至っている。日本を取り巻く戦後の国際環境は東西冷戦を軸に展開し、米ソ対決の時代では日本は脇役であり、出る幕でもないし、必要も無かった。もっぱら経済成長に専念するためには集団的自衛権の行使などに踏み込まないに超したことはなかったのだ。
しかし、米ソ対決の終焉で様相はがらりと変わった。世界中でモグラ叩きのモグラのように戦争や紛争が勃発、それでも日本は一定期間は脇役で済んできたのだ。しかし、米国には長年にわたる参戦で国民の厭戦(えんせん)機運が台頭、大統領・オバマもついに「アメリカは世界の警察官ではない」と音を上げるに至った。それを待ちかねたかのように、ロシアはウクライナに食指をのばし、中国は南シナ海と東シナ海で露骨な膨張政策を展開し始めた。北朝鮮は何をしでかすか分からない指導者の下に核ミサイルを完成させつつある。慌てたオバマは日、韓、フィリピン、マレーシアを歴訪、東南アジアでのプレゼンス回復に努めた。しかし、これをあざ笑うかのように、中国は西沙諸島の石油掘削現場を80隻の舟で取り囲み、強権的に掘削活動を展開し始めた。背後に「弱虫オバマは手を出せまい」と言う読みがある。これが我が国を取り巻く歴史的かつ客観的な情勢である。中国は尖閣への“予行演習”として、軍事的に弱い諸国が取り囲む西沙諸島にちょっかいを出し始めたのだ。したがって、このような戦略は尖閣をめぐっても発生し得ることである。ある日突然尖閣を常日頃から軍事訓練を受けている漁船や公船が千数百隻単位で取り囲み、占拠に出ることは当然中国の軍事戦略の選択肢となっていると考えられる。
翻って国内を見れば、変化が著しい極東情勢に付いていけない思考停止の国民が多いのもまた事実だ。しかし、国の安全保障は戦争は起きないという期待値では対処しきれない。平和は空から降ってくるという、能天気な安保観でも対処できない。常日頃から最大限の抑止力を働かさねばならない事態である。もうアメリカ任せだけで平和を享受できる時代はとっくに去ったのだ。現に北朝鮮は日本の都市を名指しで核ミサイルを撃ち込むと宣言しているではないか。それに対し、度し難い平和ぼけの象徴が創価学会婦人部である。まるで「平和は仏に祈れば実現する。攻める者には仏罰が下る」と考えているとしか思えない。根拠のない絶対平和主義である。学会に寄り添って出世街道を歩いてきた公明党代表・山口那津男にとってみれば、婦人部を説得するなどという“恐ろしい”発想は脳裏にない。したがって、婦人部の受け売りと見られる稚拙な安保概念を振り回して、こともあろうに共産党や社民党と同じ主張を繰り返す。いわく「海外で戦争する国になる」「地球の裏側まで米軍に付いていって戦争する」といった具合だ。これはかつて秘密保護法をめぐって野党や一部新聞が“風評”をねつ造して愚かなる反対論を展開したのとそっくりである。極端な事例をスタートラインに設定して、それを論拠に議論に持ち込むという、本質離脱の議論展開手法である。
最近では公明党は、敵のミサイルからの米艦護衛や、米国に向かうミサイルの撃墜は警察権の発動でできると言いだした。この主張は国際法への無知をさらけだしている。ミサイルが飛ぶ宇宙は宇宙条約第2条で「宇宙空間に対しては、いずれの国も領有権を主張できない」としており、国内法が適用できるわけがない。同様に個別的自衛権で対応できるという主張も不可能だ。公明党も個別的自衛権で可能というなら自衛隊法や周辺事態法のどの部分を改訂すれば可能になるのか明示すべきである。不可能であるから提示できないのだ。安倍の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」座長代理の北岡伸一が「公明党や野党が主張するように、憲法解釈を全く変えないで法整備ができるなら、歓迎したい。しかし、それは手品であり奇跡だ」と述べているとおりだ。山口も本当に弁護士か疑いたくなる。いずれにせよ安倍は今週安保法制懇が提出する報告に基づき、政府としての考え方を具体例を挙げて提示する。自民党の意向を考慮して限定的な行使容認の方針表明だ。例えば朝鮮半島有事で邦人を日本に輸送する米艦船を護衛する例や戦時における機雷除去、米国や米艦に向かうミサイル撃墜などの例を網羅することになる見通しだ。これに基づき公明党を説得することになるが、それでも嫌だというなら、安倍は腰砕けになってはいけない。肝心の幹事長・石破茂が「頭がいい人」の悪い癖で理路整然とぐらついているように見える。早くも妥協して「見切り発車はしない」などと言い始めた。しかし、ここでぐらついては、安倍のレゾン・デートル(存在理由)が全く失われ、米国は再び「失望」し、中国が欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するだけだ。九仞(じん)の功を一簣(き)に虧(か)いてはならない。千載一遇のチャンスなのである。
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