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2013-05-10 12:57
M君からの葉書:昨今のマスコミに思う
尾形 宣夫
ジャーナリスト
年賀状を見てからだから、5カ月ぶりに君のハガキを受け取った。「退社しました。地元の大学で教壇に立っています」という内容だった。あー、とうとう社を辞めてしまったのか・・・・。いつかはこんな連絡が来るだろうと予想はしていたから驚きはしなかったが、君のような記者が古巣を去ったことが残念でならない。君は東京の居酒屋で飲んだ時、取材記者の楽しさ、苦しさをしゃべりまくった。そして、社の編集幹部の理解のなさにも怒りをぶっつけていた。記者生活も油が乗った年代で、全国的な話題となる企画記事を地元の視点で連発していた。間違いなく編集局では存在感を示していた記者だった。本社から支社デスクとして赴任、持ち前の行動力を生かして地元大学で講師も務めている。そんな元気のいいやり手の記者だったが、あるとき職場で「逆風」が吹いているとぼやいていたね。
記者にとって取材力は行動を伴う。頭で考えているだけで行動が伴わない記者も多いが、君の場合は上司が戸惑うほどの攻撃力があるようだった。それが職場での君の存在に響いたのかどうか分からないが、組織の中で「浮いてしまった」原因の一つとなったのかもしれない。それは、君が怒りに満ちた言葉で私に教えてくれた。ついにというべきか、それが君の人事となって表れ取材現場から外れてしまった。ところで、30代半ばから40代は、記者の優劣がはっきりする。M君が取材・企画で先頭を走っていたのは事実で、それは彼自身が自覚していた。だから上司に対しても、「生意気な記者」として映ったのだろうか。M君にもう少し自己主張を抑える気持ちがあったなら、あるいは丸く収まったのかもしれない。そして、もう少し「大きな土俵」で勝負をしてほしかった。だが、彼に期待できるような大きな土俵があるかと考えると、私にはその自信がない。
近年、マスコミに対する批判の声は大きくなるばかりだ。特に周知の「記者クラブ」を足場とする現行制度への批判は、ネット社会の情報伝達が当たり前になって、その速度を速めている。残念なことに全国紙を中心とする新聞界、NHKを中心とする電波メディアへの読者、視聴者の目は厳しくなるだけだ。マスコミ界が一般の人たちから「権力視」されるようでは、もはやオピニオンリーダーなどと威張っていられない。それが現実である。
最近の報道は残念ながら、当局発表を読者、視聴者にキャリーするにとどまってはいないか。特に気になるのは、テレビに登場する報道界出身のコメンテイターの解説である。政治状況の紹介は、正直言って下手なドラマよりも面白い。政治家の生々しい、駆け引き十分の舞台裏の話をするのだから、政治好きの人間にはたまらない。しかし、である。評論家、コメンテイターはそれでいいのか。政治の舞台裏を得々と話すだけで、然らば何を為すべきかを語らないコメンテイターを見ていると、「権力を監視し」「李下に冠を正さず」の立場の者としておかしくはないかと言いたくもなる。M君の少々突っ張りすぎた態度に反省の余地はあったとしても、所詮、権力に抗する原点を持つ記者として、薄れつつある基本的な問題意識を大事にする「記者道」を彼は持っていたような気がしてならない。
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