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2006-09-13 18:12
岩倉使節団の米欧回覧
大河原 良雄
財団法人世界平和研究所理事長
1.「岩倉使節団の米欧回覧」
「米欧回覧の会」の主催で「岩倉使節団の米欧回覧」と題するDVD版の試写会が8月26日に開催され、これを観賞する機会に恵まれた。
岩倉使節団は明治新政府誕生後間もない明治4年(1871)12月から明治6年(1873)9月まで1年10ヶ月の長期間、米国を最初の訪問国として、欧州に渡り、合計12ヶ国を巡遊したものである。その目的とするところは、(1)条約締結国を歴訪して元首に国書を捧呈する、(2)欧米先進諸国の制度・文物の見聞を通じて日本の近代化を進める、(3)条約の協議改定期限(明治5年)までに各国と協議することにあった。
一行は太政官政府副首相格の実力者であった右大臣岩倉具視を特命全権大使とし、副使に参議木戸孝允、大蔵卿大久保利通、工部大輔伊藤博文、外務少輔山口尚芳の4人を配し、46人という多勢で編成された。この外に随従者や留学生等多数の同行者があった。その使節団の公式記録に当るのが、「特命全権大使、米欧回覧実記」であり、随行の佐賀県出身の久米邦武が太政官少書記官として編集したものである。明治11年に出版され、全100巻5冊2110頁という浩瀚なものである。
今回「岩倉使節団」の足跡を辿ったDVDの試写を観賞しながら、快挙というべきか、壮挙というべきか、この破天荒の大使節団の米欧諸国巡遊について種々の思が脳裡を交錯した。
2.気宇雄大な構想力と決断力
(1)明治維新による王政復古の新政府の基礎も未だ定まらない時期に、新政府の実力者や中核的人物が1年10ヶ月も海外視察のために国をあけるという大事業をよくも実施したものと、その気宇雄大な構想力と決断力に感銘せざるを得なかった。
(2)廃藩置県実施の直後で、横浜出帆の際には、岩倉は衣冠束帯、随員は羽織袴という昔ながらのいで立ちであったのが、米国入国後は洋服の着用に切替え、ロンドンでは背廣の本場 Seville Row で紳士服を仕立てていることにみられる様に旺盛な吸収力と柔軟な適応力を示しているのに驚く。
(3)アジアの新興小国の使節団ながら、米国のグラント大統領に始まり、英のヴィクトリア女王、仏のティエール大統領、独の皇帝ウィルヘルム一世、それに露の皇帝アレクサンドル2世と夫々謁見し、その他の訪問国でもいずれも国家元首との謁見が行われている事は直接その衝に当った関係者の優れた折衝力を示すものといってよいであろう。
(4)訪問先各国で産業革命後の新しく興隆しつつある文化文物に触れつつ政治経済社会及び文化の各種側面を幅広く見聞しているが、日本の今後の近代化の方途について、思いをめぐらせたであろうことは想像に難くない。然し久米が「各国の文明開化の力強さには感嘆する。とはいえその発展は精々19世紀に入ってからのものであり、それ程古くからのものではない。日本も国を挙げて近代化に努めるならば、この40年程度のギャップは十分埋めることが可能である」旨を述べているのは、その鋭い観察力といい先進各国に学びつつも何をという気概の強さといい感銘措く能はざるものがある。
3.21世紀に立向かう日本の指導者に望む
明治維新以後の目覚しい日本の興隆、近代化の歩みは正に「坂の上の雲」を追い続け文明開化を急ぐ事にあったが、岩倉使節団が異例ともいうべき長い視察旅行から持ち帰ったものが、その道程に如何なる形で反映されているのか興味深いことである。同時に「回覧実記」を通じて観る明治の指導者の逞しさ、視野の広さ、適応力の柔軟さ等々21世紀に立向かう日本の指導者が是非発揮して欲しい資質を更めて考えさせられるところである。
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