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2012-09-01 16:28
アリストテレスに学ぶべき日本の対韓外交
藤永 剛志
予備役ブルーリボンの会幹事
韓国の李明博大統領は8月14日、天皇陛下の訪韓に言及し「韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要があると伝えた」と述べ、さらに、「(天皇陛下が過去に表明した)『痛惜の念』などという単語一つを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」と述べた。李大統領は、就任前から「(日本に過去をめぐる)謝罪や反省は求めない」と言明し、平成20年4月の訪日の際には、天皇、皇后両陛下と会見し、韓国訪問を直接招請しているのである。一国の指導者による他国の元首への非礼な発言は、他に例をみない。韓国の歴代大統領が一人として行わなかった竹島上陸にあえて踏み切り、日本国民の神経を逆なでする発言をためらわない、という現状は、日韓関係にとって危険きわまりない。
さて、「然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、さらにまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒るひとは賞賛される」。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』の中の一節である。しかも、それが「賞賛されるのは、彼の穏やかさなのだからである。穏やかなひととは、すなわち、心を乱されず、情念に左右されず」、理に適った怒り方をするひとだから、というわけである。さらにアリストテレスは「その(怒り)不足は―それは『意気地なし』とでもいうか、名称は何であってもいいが―非難される‥‥けだし、(然るべきことがらについて)怒らないひとは『痴呆』だと考えられるのである」という。つまり、当然怒るべきことがらに対して、(1)きちっと怒る人は「賞賛」されるが、(2)怒り方の足りない人は、「意気地なし」、(3)全く怒らない人は「アホウ」だ、と言うのである。
なかでもアホウ呼ばわりされるひとについて、アリストテレスは「彼はすなわち、知覚がなく苦痛も感じないのだと考えられ、また怒らないのだから防衛に起つこともないひとだと考えられる。自分が侮辱されても我慢するし、近しいひとびとが侮辱されても傍観しているということは奴隷的だと考えられるのである」と述べている。さて、今の日本人は、賞賛されるのか、または意気地なしなのか、それともアホウなのか。『ニコマコス倫理学』は、およそ2300年前、日本では弥生時代、古代ギリシアにおいて初めて倫理学を確立した名著である。万人が人生の究極の目的として求めるものは幸福即ち「良く生きること」であると規定し、このあいまいな概念を精緻な分析で鮮明にする。
これは当時の都市国家市民を対象に述べられたものであるが、ルネサンス以後、西洋の思想、学問、人間形成に重大な影響を及ぼした」といわれている。ここで取り上げたのはその中の「怒り」の諸状態に関する叙述である。北方領土、尖閣諸島、竹島など我が国固有の領土と国民の拉致、首相の靖国神社参拝への近隣国の干渉、「従軍」慰安婦など事実が立証されていない歴史認識問題、いずれも国家の主権や国民の誇りにかかわる「怒るべき―然るべきことがら」なのだ。にもかかわらず、政治家をはじめ今の大方の日本人は怒りが足りないか、あるいは全く怒らない。つまり、アリストテレスの言葉を借りれば、大方の日本人は、意気地なしかアホウということになる。さらに問題なのは、怒って然るべき相手に「配慮」したり、迎合するアホウ以下の政治家らがいることである。
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