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2011-10-11 06:54
輿石の「唯一論」は民主党自滅の道
杉浦 正章
政治評論家
すべての政治現象を田中角栄のせいにすることをかつて「唯角論」と言った。今は田中ほどの力はないものの、小沢一郎一人を信奉するのを「唯一論」という。その唯一論を一番実践しているのが、民主党首脳だ。首相・野田佳彦が必死になって小沢をかばえば、党を束ねる幹事長・輿石東が臆面もなく小沢を礼賛して、証人喚問を真っ向から否定する。自民党の場合は、過去に何度となく喚問には応じて、政党として生き延びてきたが、民主党だけが、何故応じようとしないのだろうか。民主党は「唯一論」で自滅の路線をたどっているように見える。かねてから輿石を「小沢の執事だ」と評してきたが、10月8日のテレビ東京での発言を聞けば、まさに執事そのもの。侍従と言ってもよい。輿石はまず小沢を「これからも滅多に出てこない卓越した政治家。小沢さん抜きの民主党はなく、小沢さん抜きの民主党の将来はない」と“礼拝”せんばかりに持ち上げた。小沢を「卓越した政治家」と見るのは、よほど政治経験が浅薄でなければ出来ない人物評だ。心酔の様子がありありと分かる発言もあった。「幸せは自らが決めるものだが、小沢は外から見ていると幸せに見えるが、本当は寂しいのだ。こういうところに追い込まれて、気の毒だ」と述べた。いかに唯一論の権化となっているかが分かる。
重要なのは、立法府の議員としてその存在価値を自ら否定する発言をしたことだ。小沢が記者会見で「君は三権分立を知っているのか」と記者批判をしたのをとらえて、輿石は「裁判所の真似事を国会でさせようと言うことだ、証人喚問は。だから三権分立、推定無罪を、あなたたちは知っているのかということ」と解説して見せた。これは「三権分立だから、喚問の必要はない」という小沢、野田の論理を、そのまま踏襲、補強していることになる。つまり裁判が進行中であるから、立法府での喚問は必要ないことになり、これは立法府そのものの否定となる我田引水の論理だ。何度も繰り返すが、国会が喚問を必要とするのは、有罪か無罪かの判定のためではなく、政治家にとって何よりも重要な政治的、道義的責任を問うためなのだ。この発言というか、暴言は、当然野党も国会で質すべきだろう。
それにつけても、民主党政権は何故ここまで証人喚問を拒否し続けるのだろうか。自民党の場合は、渋々ながら喚問に応じているケースがほとんどだ。中曽根康弘はロッキード事件とリクルート事件で、松野頼三はダグラス・グラマン事件で、竹下登と小沢一郎は東京佐川急便事件で、それぞれ証人喚問に応じている。しかも、疑惑は残るが、一応政治問題化することは避けているのだ。証人喚問は、偽証罪に問われる恐れがあるが、ロッキード事件で当時の国際興業社主であった小佐野賢治が喚問を受け、質問に対する本質的回答をしない「記憶にございません」を連発して切り抜けている。以来、同様の答弁で政治家達はしのいできている。つまり証人喚問は切り抜けられるのだ。じわじわと支持率の長期低落を招くより、一過性で済むのだ。
この自明の理も分からずに、輿石のように一党の幹事長ともあろうものが、小沢への「盲目の愛」だけで、民主党全党の評判をおとしめているのが、実態だろう。「小沢さん抜きの民主党はなく、小沢さん抜きの民主党の将来はない」が全くの逆説のパロディー漫画であることに気付かない。10月9日付けの『読売新聞』の世論調査によると、野田の内閣支持率は10ポイントも急落して55%。「小沢は国会での説明責任を果たすべきだ」との回答が、何と81%に達しているのだ。野田は小沢を擁護しなければ、民主党内の調和を維持できず、擁護し続ければ支持率が急落し続けるというジレンマを抱えることになっているのだ。輿石も、贈収賄事件に限りなく近い政治家を擁護し続けて、立党の基盤を失うことがペイすると考えているのだろうか。大局を見れば、どうみても収支尻は合わない。小沢を必要以上に大きく見るという、民主党政権の度し難い体質が、そこにあるとしか思えない。
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