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2011-09-30 07:01
野田流「3ない主義」は、自己保身あって国家なし
杉浦 正章
政治評論家
答弁は、巧弁かと思ったら、不弁・訥(とつ)弁・曲弁・詭弁、しまいには右顧左眄(べん)であった。能弁だったのは、民主党代表選挙の「ドジョウ発言」だけだ。4日間の予算委員会を通じて、首相・野田佳彦の極端な安全運転ぶりが目立った。それも「前向き」でなく、内政・外交・「政治とカネ」全般にわたって「後ずさり」型であった。しびれを切らした野党は、自民党総裁・谷垣禎一が「空疎で、人ごとのような答弁だ」と怒り、対決姿勢を一段と強めた。第3次補正予算案をめぐる3党事前協議に応じない方針だ。安全運転のあまりに、失うものが大きすぎた臨時国会だった。野田の“寡黙”ぶりは、何に起因するかと言えば、言うまでもなく前2代によるパフォーマンス・ズッコケ政治にある。2年にわたる舌禍の政治に懲りたのだ。野田の「ドジョウ発言」の時に、大向こうは、久しぶりに「肉声で語る政治家」の登場を感じたに違いない。ところが、野田は羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いて、この期待は淡くも消えた。答弁時間は極端に短く、一回の質問に二言、三言といった感じだ。まさに「不弁」だ。だから予算委がまるで野党の独演会のようになった。
この「縮み」の志向は、毎日新聞が報じた「安全運転」3原則で分かる。野田は(1)余計なことは言わない、やらない、(2)派手なことをしない、(3)突出しないことを、側近議員らに漏らしていたのだ。30年前に若者の無気力・無関心・無責任が「3無主義」といわれたが、「言わない、派手はしない、突出しない」は、野田流「3ない主義」だろう。まず「政治とカネ」では、小沢一郎の秘書3人が有罪となった地裁判決も、「来月にも小沢氏への裁判が始まる。司法への影響も考えるとよく検討しなければいけない」とコメントを避けた。これは歴代政権が議員の裁判沙汰で述べてきた「不毛の言い逃れ原則論」と同じである。司法の場で問われる刑事責任と、国会議員が果たすべき政治的・道義的責任を、まったく混同した「詭弁」答弁だ。こと小沢に関する質問には、内政よりも、外交よりも、気を遣っているのではないか。
3次補正の主要財源を所得税としたことも逃げだ。消費税は小沢が反対しており、触らぬ神に祟りなしなのだ。しかし、自らの得意分野に触れられると怒る。増税批判に「安易な増税をしようとは全く思っていない」とむきになった。「ちまちました増税より、消費増税を」との批判に「11兆は、ちまちましていない」と「強弁」した。普天間基地移転問題については、オバマから早期履行を求められた点を、「大統領ご本人というよりは、(会談内容を)ブリーフした方の個人的な思いでは」と述べた。「結果が必要だ。これからの進展に期待している」というオバマ発言を否定したのだ。しかし、もしブリーファーがこれほどの重要発言を“ねつ造”したとすれば、外交上の大問題ではないか。当然抗議して質すべき問題なのに、内弁慶にとどまっている。まさに「右顧左眄」だ。「マルチ山岡」の業者との癒着問題についても野田は、「事実関係は本人にも確認させていただきたい」と山岡賢次から事情を聞く意向を示したものの、全然その気配はない。その場逃れの「曲弁」だ。こうした「3ない主義」の答弁は、結果として野党に強い不満を残した。自民党政調会長・石場茂は「ノーサイドというのは、小沢氏の側に立つことか」と鋭く突いたが、ドジョウの耳に念仏のていだった。
この煮え切らない野田答弁の背景に見えるものは何かと言えば、「必死の自己保身」である。大震災で国難の時にこそ、我が身を捨ててのダイナミックな政治が期待されるところだが、野田の姿勢はまるで「自己保身あって、国家なし」である。野田はこの姿勢を来年度予算が正念場を迎える4月まで継続する構えだという。野党は、早期解散に追い込む姿勢に変化はなく、国会をたった4日で逃げようとしたことに始まって、予算委答弁で明らかになった「逃げ」一点張りの野田政権のありようを、厳しく突く構えである。その手始めに野田の要求する3次補正の3党協議に応じない方針だ。政権揺さぶりの具現化だ。野田は「安全運転」が、その実は「危険運転」になっていることを知らない。
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