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2011-07-20 07:26
なでしこを「菅政治」の垢で汚すな
杉浦 正章
政治評論家
なでしこジャパンの快挙を首相・菅直人が何と言って“汚す”かと注目していたが、案の定「やるべきことがある限り、私も諦めないで頑張りたい」と宣うた。「7・18の快挙」は「3・11」以来日本が初めて味わった爽快感であったが、これが一挙に吹き飛んだ。賞味期限切れの牛乳を飲んで「しまった」というような後味の悪さだけが残った。そうか、菅はなでしこの奮闘をそういう気持ちで眺め、露骨に“政治利用”する人間であったのか、と改めて感じた。ど田舎の村長ですら、もう少しましなコメントをすると思った。チームのモットーである「最後まで諦めない」を冒涜(ぼうとく)するものだとも思った。
試合を見ていて「このすがすがしさは何だ」と思い続けたが、潜在意識のもとで、政治の現実と比較している自分に気付いた。試合を終始貫いたのは、汚い政治の現実とは相反する世界だったのだ。まず薄汚い反則がなかった。日米両チームとも、フェアプレーに徹していたのだ。一方で、菅は政治家として最大級の反則をした。「辞める」と印象づけて自らの党の議員をだまして、不信任案を否決、いまだに居座っている。「ペテン師」呼ばわりされ、「民法では詐欺罪」(自民党政調会長・石破茂)とまで言われても、恥じるそぶりもない。いくら政治の世界でも、ぎりぎりの道徳はある。歴代首相はそれを守ってきた。「辞める」と言ったら、辞めたのだ。なでしこの「仲間を信頼する団結力」もない。そこには「俺が俺が」の醜い姿があるだけだ。みんなの党代表の渡辺喜美が、「なでしこジャパンは綿密な連係プレーだが、一方の菅政権はワンマンプレー。首相がボールをつかんで放さない」と皮肉ったとおりだ。利用出来るものは、何でもつかんで離さない。主将・沢穂希に得点させるための宮間あやの1ゴール1アシストの必殺技は、菅政治のどこを見回してもない。ボールはパスするものではない、自分が最後まで抱え込むものだ、と思い込んでいるのだ。
沢のリーダーシップが菅にあるか。リーダーというものは、白日の下で部下から常にチェックを受けている。沢が所々で見せた“神技”のかけらも、菅の政治には見られないではないか。宮間のコーナーキックを受けてゴールを決めた瞬間は、一瞬「何が起きたか」と思わせた。剣豪・佐々木小次郎のツバメ返しを見たかのような鮮やかさであった。残り3分で「根性の勝機」を掴んだのだ。チームはそういう沢の戦う姿を見て、常に勢いづいてきたのだ。民主党チームの若手議員らが、菅の姿を見て勢いづくだろうか。逆だ。菅の姿を見る度に「俺は次の選挙では落選するだろうな」と意気消沈させる。これはリーダーとしてまれに見る得意技だ。議員ばかりではない、国民の支持率が12%だ。菅は「まだ竹下の4%がある」と、異常な“前向き指向”に浸っているとしか思えない。
菅には「鮮やかな政治」はない。なでしこの純粋なひたむきさもない。肝心な点は、それに自分が気付いていないことだ。気付くべき夫人・伸子ですら気付いていないで、けしかけている。まるで三流女流監督だ。なでしこの走る姿には、天女のように爽快感があるが、菅のそれはゲジゲジのようにおぞましい。公明党代表・山口那津男が「せっかくのなでしこジャパンの頑張りを無にするに等しい」と菅の居座り発言を批判している。菅はなでしこに国民栄誉賞を出したがっているようだが、これ以上の政治利用はすべきでない。米国チームの選手が「日本チームは何か見えないものに後押しされているようだった」となでしこの戦いぶりを評したが、背後には東日本大震災への思いがあったのだ。純粋無垢な運動選手たちは日本の宝だ。それ故に薄汚い「菅政治」の垢で汚してもらいたくない。早々に政権交代して、新首相の手に国民栄誉賞の授与をゆだねるべきだ。こればかりは急がなくてよい。
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