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2010-10-04 07:25
「国益よりも、保身」で不作為の外務省高官
杉浦 正章
政治評論家
どうも民主党政権になってから高級官僚はするべき事を知りながら、それをしない“不作為の作為”に陥っているように見えてならない。9月26日付けの本欄への投稿「民主党に政権担当能力はあるか」で、岡田章一氏も指摘しておられるが、今回の船長釈放という戦後最大の外交的敗北を招いたのも、首相・菅直人とともに外務省高官の無為無策が追及されてしかるべきではないか。外務省首脳は政権交代後、いわゆる政治主導に気圧されてか、プロフェッショナリズムの発揮を避け続けているとしか思えない。これでは、今後も普天間問題、尖閣事件に次ぐ第3の外交上の陥穽(かんせい)にはまるのは必然のように思える。
「民主党政権になってから日本の外務官僚の動きが鈍くなった」というのは、米国務省でも共通の認識だといわれる。従来独自の判断でやってきたことが、「政治家の指示を待ってから」という手間と暇をかけるようになったのだという。筆者がかねてから「サボタージュか」と指摘してきたことが、国際的な評判になりつつある。確かに大局では、日米関係の悪化の放置があり、個々の外交課題では、鳩山政権の普天間をめぐる迷走の放置や今回の尖閣事件の放置がある。
放置どころか、これほどの外交上の重大事件であるから、「我が省の課題である。検察などは手を出すな」と囲い込むのが、本来の外務省であったのだろうが、こともあろうに田舎検事に幹部を派遣して検察の釈放判断に手を貸す、という奇妙きてれつな対応をしている。外務省首脳は民主党政権になって“自粛症候群”とでも言うべき精神状態に陥ってしまったのではないか。昔の気骨があった先輩外交官が聞いたら、嘆き悲しむ対応ではないだろうか。民主党政権の政治主導は、既に菅が財務省に迎合し始めて、事実上破たんを来しているのだ。外務官僚だけが不必要に政治家に恐怖心を抱き続けているだけではないか。「国益よりも、保身がある」としか思えない対応だ。
元外務審議官の田中均が民放テレビで「単純に政治主導と言うが、その中身はどうなのだろうか。官僚の知見、経験を使わないで、政治だけで物事を決めてゆくのは、外交の世界ではあり得ないことだ、と理解してもらいたい」と述べている。政治家の外務官僚無視を憤っている発言だが、これも受け身の発想ではないか。まず外務省首脳が姿勢を改めるべきだ。知見、経験は強い意志と信念を背景にしなければ発揮できない。恐らく普天間問題でも、外務省高官は職業的な勘でことの成り行きを予知していたに違いない。今回の菅と官房長官・仙谷由人による方向音痴の政治主導も、戦後最大の外交的敗北になると予測していたに違いない。往年の気骨のある外交官なら、身を挺してでも菅と仙石を説得していたであろう。菅も菅だ。「次官会議を廃止した」と、いまだに得々として国会答弁しているが、タコが自分の足を食らっていることが分かっていない。一昔前の首相は、外交課題があるときは、外務事務次官を連日執務室に呼び、意見を聞いていたものだ。第3の外交上の大失政をする前に、外務省高官との付き合い方を改めよ。
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