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2010-02-22 19:10
「シェンシャン、シェンシャン」
岩國 哲人
前 衆議院議員
1999年9月9日、一通の便りが中国から届いた。天津にある南開大学の朱光磊政治学部長からの便りである。天津は北京、上海に次ぐ三大直轄市で、北京の東南の隣で重要な海の玄関の役割を持つ。日本に例えれば、東京の隣にある横浜のような位置と歴史を持っている。南開大学は中国の四大大学校に数えられ、何よりも故周恩来総理が学んだ大学として著名な大学である。その政治学部の客員教授として今年の秋から学生に講義をしてほしいという依頼の手紙だった。周恩来の後輩の学生たちを教えるという名誉ある機会を、私は喜んで受けることにした。
国会議員として決して暇の多い毎日を送っていたわけではないが、私は、出雲市長に就任する前のメリルリンチ米国本社副社長の時の1988年から米国のバージニア大学経営大学院で、また1995年から韓国の明知大学行政大学院で、それぞれ客員教授の依頼を受け、日程の都合をつけては、年に1、2回の外国の学生たちとの交流を楽しんできた。米国の大学との縁はあっても、もう一つの政治大国である中国の大学との縁はなかった。出雲市長時代に、西安の南にある三国志の舞台で有名な古都漢中市と友好都市交流をはじめて、中国の歴史と文物にすっかり魅せられてきた私だったが、まちがいなく21世紀のアジアを担っていくであろう人たちに講義する機会を与えてくれた、南開大学の教授たちの好意に感謝したい。
私の秘書の常沢君が南開大学で学び、中国語に翻訳されていた「結果平等主義から機会平等主義へ」という私の文章を、朱先生に送ったことがきっかけになっているが、この広い地球の上で、細い細い糸が作りだしてくれる運命は、不思議としか言いようがない。ある時、講義が終わって学生たちの質問の手が上がった。「グローバリゼーションで勝ち残る日本の戦略は?」「日本は米国依存から脱皮できるか?」「世界第2位の日本の防衛費をどう思うか?」「同じ敗戦国のドイツに比べて、国際問題で日本の発言が注目されないのはなぜか?」などなど。
午前中のスケジュールが終わって、200人の学生たちと別れて、昼食の場所へと向かった。東方芸術学院ホールを背に、プラタナス並木の下を朱教授、于斌副教授たちと歩いているとき、「シェンシャン、シェンシャン」と叫びながら追いかけてきた学生がいた。見ると、つい先ほど手を上げて質問した「防衛費?」と「ドイツに比べて?」の2人の学生ではないか。「サインをしてほしい」「写真を一緒に入ってもらいたい」と追いかけてきたのだという。「次はいつ帰ってくるのですか」と私にきく二人の学生を見ながら、。于さんがポツリと言った。「この2人は、もう先生のファンになってますよ。早くここへ帰って来て下さいよ」。「シェンシャン、シェンシャン」と声をあげて追ってきた学生の声。永田町できく「先生」と違って、なんと新鮮な響き。最大のお土産となったあの響きを、私は一生忘れることはないだろう。
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