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2010-01-08 18:57
日韓結ぶ一つの神話
岩國 哲人
前 衆議院議員
過去の歴史的ないきさつはどうあれ、隣の国と仲良くつきあっていくことは大事なことであり、誰も反対する人はいません。しかし仲良くつきあうには、お互いに理解しあい、お互いの立場を尊重しあう「やさしい気づかい」が必要です。日本と韓国、日本と中国の間には、このような「やさしさ」が今ひとつ足りないような気がしてなりません。日・韓両国が世界に誇るべき長い歴史とその文明を考えるとき、古代にさかのぼればさかのぼるほど、日本と韓国は「近くて遠い」現在の観念から本当は「近くて近い」存在であったことを実感させられます。その昔、日本、韓国両国はもともと陸つづきでした。日本列島と朝鮮半島のあいだには人と人の血のつながりがあり、文化の交流がありました。
特に両国の遥かなる建国時代の民間伝承や神話を考える時は、なおさらにそうです。元来、神話は歴史的な事実それ自体ではないとしても、その内に含まれた歴史性を皆排除することはできないものです。昨年の9月30日、碩座(特任)教授をつとめている釜山の東西大学での講義を終えてから、慶尚北道の浦項市を訪れました。POSCO製鉄の見学で、その規模の大きさと近代的な設備に驚かされるとともに、宝鏡寺、李明博大統領の村など数々の景勝地を訪れながら、その中でも特に印象深かったのは「韓国内の日本人村」として知られる日本人街でした。遠く日本の福山市から移住された人たちの色々な思いに触れるようで、感慨ひとしおでした。
更に驚いたのは、ヨノランとセオニョの夫婦の物語でした。今から1850年以上の昔、新羅という国があり、その国の海岸の村、今の浦項市の迎日湾あたりに、ヨノランとセオニョという夫婦が仲良く暮らしていました。ある日ヨノランが浜辺で海草を採っていると、急に1つの岩があらわれ、彼を乗せ日本の「出雲」と呼ばれる国へ運んでいきました。セオニョは夫が帰ってこないので浜辺に探しに行ったところ、夫の履物が岩の上にありました。それをとろうとして岩にあがると、またその岩も動き出し、日本へ向かい、その国の人たちは2人を丁重に迎え、夫婦はそこで再会することができたのです。ヨノランはその土地の人たちに、製鉄の技術と米を作る技術を教え、セオニョは桑を植え、蚕を育て、絹を造る技術を教えたというのです。
私はその話を聞いて、出雲が誇る伝統的な産業として古代から知られている製鉄、稲作、養蚕の3つの産業の一つ一つが朝鮮半島からもたらされたことを、この神話が明快に語り伝えていることに驚きました。ヨノランとセオニョが渡り着いた日本の出雲と呼ばれる地は、古代から中国や朝鮮半島の文化を受け入れてきたところ。日本で神々の活躍した神話と称するものは、この地方の「出雲神話」が唯一の日本の神話であり、その神々の中にはヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトなど朝鮮半島や中国出身と推定される神々も少なくありません。天皇をはじめ、日本の皇族は、アジアの古代文化とアジアの文物や人々の交流に敬意を表されて、国際的な波紋を広げた靖国神社参拝はなされず、出雲大社への参拝は今でも継続されています。出雲地方では、水難などの事故で海岸に打ち寄せられた外国の人と思われる遺体を屋敷の隅に手厚く葬っています。ヨノランとセオニョの神話は、韓国と日本の2つの国の子どもたちに、もっともっと広く知ってほしいと思いました。
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