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2009-04-02 00:00
(連載)国旗と国歌について考える(2)
水野 勝康
特定社会保険労務士
現在のドイツ連邦共和国の国歌は、かつて同じメロディーが神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オーストリア共和国、ポーランド共和国、ワイマール共和国、ナチス・ドイツの国歌として使われていた過去を持つ。作曲は1796年か1797年にフランツ・ヨーゼフ・ハイドンによりなされ、もともとは皇帝賛歌として当時の神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世に捧げられたものであった。
ナポレオンの侵攻によって1806年に神聖ローマ帝国は滅亡。神聖ローマ皇帝を長く独占してきたハプスブルク家は、残った領土を「オーストリア帝国」と改称し、神聖ローマ帝国国歌はそのままオーストリア帝国国歌となった。実は神聖ローマ帝国滅亡と言っても、そのまま看板をオーストリア帝国に変えただけといのが実態だったようで、皇帝も神聖ローマ皇帝フランツ2世がオーストリア皇帝フランツ1世と名を変えただけであった。
多民族国家であったオーストリア帝国は帝国内の諸民族の自立の動きを受けて、ハンガリーの独立を認め、オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねるかたちで、1867年に「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が成立した。そして、オーストリア国歌がオーストリア・ハンガリー二重帝国の国歌として採用される。
第一次世界大戦における敗戦によって、1918年にオーストリア・ハンガリー二重帝国は滅亡した。新たに成立したオーストリア共和国は、歌詞を「神よ、皇帝を守りたまえ」から「神よ、皇帝から国民を守りたまえ」と変えて、そのまま国歌を使い続けたが、1938年にナチス・ドイツによって併合され、消滅してしまう。
併合したナチス・ドイツの方も、国歌はワイマール共和国時代の1922年に採用されたものを使っており、このメロディーは、オーストリア共和国と同じものであった。事実上ワイマール体制を否定して成立したナチス・ドイツだが、国歌は変えなかった。さらに、ナチス・ドイツが第二次世界大戦勃発と同時に併合したことで消滅してしまったポーランド共和国も、同じメロディーの国歌を使っていたのだからややこしい。そして、「第三帝国」を自称したナチス・ドイツも、第二次世界大戦に敗れて滅亡した。(つづく)
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