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2009-03-03 00:00
イスラエルによるイラン核施設の奇襲空爆の可能性
石川 純一
フリージャーナリスト
2月10日に実施されたイスラエル国会(クネセト)総選挙で第1党、第2党となった中道カディマと右派リクードは、連立工作で互いにしのぎを削っていたが、同国のペレス大統領は20日、リクード党首の強硬派ネタニヤフ元首相に組閣を要請した。ネタニヤフ氏はこの日、大統領とともに記者会見し、カディマや第4党となった労働党との連立も視野に入れた挙国一致内閣樹立に意欲を見せた。オバマ米大統領は就任前からパレスチナ和平に前向きの姿勢を示しているが、首相就任に執着するネタニヤフ氏は、イスラエルが直面する最大の脅威は核兵器開発を進めるイランであると言明し、パレスチナ和平を脇に退ける姿勢を示した。カディマの対応は不明だが、このネタニヤフ氏の「それいけドンドン」型のアジ演説姿勢を前に、野党にとどまる公算が大きい。労働党はもちろん「ノー・サンキュー」だろう。
「最大の脅威はイラン」という発言を前に脳裏をかすめる事件がある。1981年6月7日に起こったイスラエル空軍機によるイラク・タムーズにあった原子炉爆撃事件が、それだ。フランスの援助の下にイラクが建設を進めていたオシリス級原子炉を爆撃・破壊したこの空爆は、対イスラエル非難決議を採択した国連安保理など、国際社会から一斉非難を浴びた。が、10年後の1991年勃発した湾岸戦争では、「イラクがイスラエルに撃ち込んだスカッド・ミサイルに核が搭載されていなかったのは、あの原子炉爆撃のおかげ」との見方が支配的となり、イスラエルの空爆が再評価される結果となった。イスラエル政府自体は爆撃の翌日、自ら空爆を発表し、「イスラエルの安全保障のためにイラクが核武装する以前に先制攻撃する必要があった。原子炉稼動後に攻撃したのでは「死の灰」を広い範囲に降らせる危険があった」として、この奇襲先制攻撃を正当化した。
この空爆はイスラエル国内では政権党だったリクードにプラスの方向で作用し、3週間後の選挙では当時のベギン首相率いるリクードは大勝した。エジプトと和平条約を締結し、この空爆に成功した当時が、反英独立闘争時から極右でならした故ベギン首相の全盛時代であったといえる。ベギン首相は1年後の1982年にはレバノン戦争を発動し、故アラファト議長らパレスチナ解放機構(PLO)指導部をベイルートから追い出すことに成功したが、戦後処理に手間取り、1983年には辞任せざるを得なかった。他界したのは、1992年であった。
まあ、ネタニヤフ氏がこのベギンにならって対イラン奇襲先制攻撃を仕掛けるかどうかは、現時点では不明だが、必要とあればためらうことなく実行するイスラエルのやりかたは、過去の事実がよく示している。これは忘れない方がいいだろう。いずれにせよ、当面はパレスチナ和平の「パ」の字すら出てこないだろうが、政治的に見れば、対イラン奇襲先制攻撃で、国民の支持を取り付け、返す刀で衝撃的な対パレスチナ譲歩を示す可能性がある。オバマ米政権との駆け引き次第ということになろうが。
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