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2009-03-02 00:00
国際政治を自分の問題として考える力を持とう
湯下 博之
杏林大学客員教授
米国で「変化」を唱えて選出されたオバマ政権がスタートし、米国の外交に変化が生まれ、それに伴って世界全体の国際関係についても種々の動きや変化が予見されている。ブッシュ前政権が単独行動主義に基づく外交を展開して失敗したことを踏まえ、オバマ新政権は対話や国際協調を重視し、政策立案についても同盟諸国の参画を歓迎すると共に、同盟諸国の積極的貢献を含む協調行動を求めているといわれる。このような変化は、米国内の要因のみによって生じたものではなく、国際社会の変化にも対応していると考えられる。
即ち、第二次大戦後永らく続いた東西間の冷戦の下では、米国をリーダーとする西側諸国とソ連(現ロシア)をリーダーとする東側諸国は、それぞれリーダーの下に結束して行動することが必要とされた。しかも、米ソ両リーダーの力はそれぞれの陣営内で突出していたので、リーダーの指導力は絶対的なものに近かった。1989年に冷戦が終結した後も、米国の突出した力は不変で、米国による一極世界が生まれ、諸外国は米国の政策に対して効果的に影響を及ぼすことができないという状況が生まれたかに見えた。
ところが、21世紀に入ると、この状況に変化が生じ、米国の力は依然突出してはいるものの絶対的とは言えなくなり、いわゆる多極化の動きが生まれてきた。アジアにおける中国の台頭もその一つである。そうなると、日本を含む主要国は、米国と協力しながらも、自らも積極的に提案をしたり応分の貢献をして、皆で問題に対処したり世界を望ましい方向に動かしていくということが求められる。国際社会は国内社会とは異なり政府も議会もないので、主要メンバーが中心になって相談したり協力して行く以外に方法がないからである。もしそのような役割りを果たさなければ、主要国としての資格を欠くこととなり、国際関係での頼りになる仲間とは見なされなくなってしまう。このような国際関係の大変化が起っているのに、日本の政治はどこを向いて動いているのか。日本の政治も国民の意識も、国際政治ぼけをしているとしか思えない。
考えて見ると、日本は、第二次大戦後長期間にわたって、安全保障は日米安全保障条約に頼ることを基本とし、世界の平和維持のための武力行使には憲法を理由として参加せずに、専ら経済に専念することができた。その結果、世界第二の経済大国になれたことは、幸いなことであった。しかし、その副作用として、国際政治を自分の問題として考える力が弱まってしまったように思われる。国際関係のあり方が大きく変わりつつある時、その変化をしっかり認識して、目を覚ます必要がある。そうしないと、日本は将来がなくなってしまうと恐れる。
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