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2009-02-19 00:00
(連載)イスラエルもパレスチナも右旋回で出口なし(1)
石川 純一
フリージャーナリスト
建国、独立などの国民国家形成過程では、様々な理想主義がその動機となるが、世代を経ると左派的な民族主義は勢力を失い、建国・独立過程を知らない世代の右派的な民族主義が台頭する。若い世代にとっては、境界線・国境線は妥協の産物でも血と涙で勝ち取った苦労のたまものではなく、既に生まれたときからそこにあった既得権のひとつだ。
中東で唯一欧米的な民主主義を謳歌するイスラエルとて例外ではない。このイスラエルで2月10日、クネセト(国会、定数120)の総選挙が実施され、中道カディマが第1党となり、右派のリクードが第2党に躍進、第3党は極右の「わが家イスラエル」の構図となった。反英独立闘争から建国を経て第4次中東戦争にいたるまで、この国の政治の中心だった労働党は、ついに第4党にまで凋落した。同国選管の12日発表では、最終結果はカディマが28議席、リクードは27議席、「わが家イスラエル」は15議席であったが、労働党は13議席にとどまった。
1973年の第4次中東戦争で常勝イスラエルの神話が崩れ、武力で1967年第3次中東戦争後の境界線を維持することが不可能なことを悟ったイスラエルは、シナイ半島をエジプトに返還し、イスラエル・エジプト和平条約を締結したが、この重大な決断を下したのは、労働党ではなく、リクードのベギン政権であった。左派が妥協すれば「弱腰」と叩かれるだけだが、右派が妥協すれば「あの強硬派が受け入れたのだから」と前向きにとらえられる。「右派こそ譲歩できる」という政治の鉄則の証左であった。(つづく)
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