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2008-12-27 00:00
世界的危機の真の解決に日本は貢献できる
湯下 博之
杏林大学客員教授
米国大統領選挙では、「変化」を掲げたオバマ候補が圧勝した。1月20日の就任後、新政権の下で米国が良い方向に大きく変化して行くことが、切望される。しかし、変化が必要なのは米国に限らない。日本も同様であるし、経済や国際関係では世界中が変化を必要としている、と言ってよいであろう。どうすれば、好ましい変化をもたらし得るか。経済および国際関係では、実は日本の果たすべき役割が大きいと思う。例えば、経済の面では、米国に端を発した金融危機が全世界を覆い、実体経済にも影響が及び、この先どこまで経済が落ち込むかも判然としない。このような状況に対して、G20その他の国際的な緊急協議で種々の対策が検討されるであろうが、実は、それだけでは、当面の対策にはなり得ても、問題の真の解決には至らないと思う。
真の問題は、もっと根本的なものだからである。根本的な問題は、今日の経済活動において、お金に余りにも大きな力と重みが与えられていることであり、人間の側面とか人間にとって持つ意味といったものが無視されていることだと思う。例えば、会社は誰のものかというテーマに関して、米国では、株主のものであるとされているという。これは、多くの日本人にとっては驚くべき考え方である。伝統的な日本での考え方は、会社は何よりも経営者、従業員等その会社で働く人達のものである。その会社の株の持主やその会社が必要とする資金を融資している銀行は、確かにその会社の利害関係者であり、その会社がすることに対して発言権を持つことは妥当であるが、彼らがその会社の持ち主であるとまでは考えない。
日本には、会社をそこで働くすべての人達で構成する一つの家族ないしはチームとして扱うという伝統がある。労働組合も基本的には会社単位で作られている。この慣行は、会社の人間的要素に多くの注意を払うものであり、会社の活動を高める上でも、会社で働く人達の経済的、精神的幸福の上でも、多大の効果を産んで来た。残念ながら、米国に端を発したマネー・キャピタリズムに圧倒されて、上記の良き伝統は徐々に失われつつあるように思われる。また、これ迄は米国流のマネー・キャピタリズムに異を唱えても、効果が少なかった。
しかし、その米国流マネー・キャピタリズムが世界中を困らせるような大きな問題を起して、「変化」が必要とされている今日、単なる理論ではなく、実践を通しての、経験とノウハウを持つ日本は、もう一度、人間重視の経済を活性化させ、世界にモデルとして示すことにより、世界の救済に大きく貢献できると思う。そして、そのようなことは、会社についての考え方のみに限られないと思う。
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