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2008-08-19 00:00
(連載)野球とアメリカ(2)
岩國哲人
衆議院議員
1990年当時は、日米貿易不均衡を縮小するための日米構造改革協議が進行中で、アメリカ側の重点的要求には木材輸入があった。その協議が始まった頃、私はメリルリンチのNY本社の副社長としてアメリカ側に立っていた。日米関係を考慮して、そして均一質の大量の集成材が日本では調達できないことも考えて、出雲市と鹿島建設はオレゴン州の松材をドームに使うことにした。ドーム開きの日、東京から米国大使館の経済担当公使が出席した。日本の地方自治体の建てものの竣工式に米国大使館が出席した最初にして最後のケースである。
マウンド開きの日、500人の中学生、小学生の野球部員に「甲子園は地球の裏にあると思ってはいけない。君たちの足の裏にあるのだ。その自信をもって、マウンドの土のふるさと甲子園を目指そう」と挨拶してから、32人をマウンドにあげて、一人ひとりの投げる球を私が受けた。キャッチャーだけは一度もしたことがない野球人生のなかで、はじめてのキャッチャー・ポジションだった。
私の父や私のDNAが作用したのか、二女の絵里はアメリカのタフト・スクールという進学校在学中には野球部のマネージャーをつとめていた。日本のマネージャーと違い、一人で他高校との試合の調整、バスの手配、スコアブックの記入、食事の準備など大変な重労働をよくこなしていたものだと感心する。高校2年生の時に、上級3年生部員の中から3人がハーバードに志願するというので、自分も志願して合格し、ハーバード大学では同級生となって、野球部のマネージャーを4年間つとめることになった。小和田雅子さんが同期生に在籍されていた頃の話である。
おとといの準決勝選を見学に、アメリカのメジャー・リーグのOB選手を含む15人の一団が甲子園を訪れていた。フットボールとバスケットボールが人気スポーツとして若い人たちの関心を集めている中で、庶民的スポーツとしてのベースボール離れを心配したメジャーOBたちが、甲子園の連日4万人を超える観衆と応援団の熱気、つまり日本の学生野球人気をアメリカへ逆輸入しようと考えているようだ。日米スポーツ構造改革協議のハシリともなれば、60年前にアメリカが根付かせたベースボール教育の日本からの逆輸入版となる快挙と言えるだろう。(おわり)
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