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2008-08-10 00:00
北京五輪で中国はどう変わるのか
伊奈久喜
新聞記者
8月8日夜、友人たちとお酒を飲みながら北京五輪の開会式をテレビで見た。選手団入場に先立つ、あの長いパフォーマンスにみな疲れた。紙、活字、羅針盤の発明など中国の歴史に対する誇りをマスゲームのような集団主義で表現した点が、いかにも中国らしい。選手団入場の国順がアルファベット順ではなく、中国語国名の最初の一文字の簡体字の画数が少ない順というのも中国らしいが、1988年のソウル五輪開会式でも「選手団の入場行進は、アルファベット順ではなく、ハングルの『カ、ナ、ダ、ラ』の順。韓国文化への誇りがそこにある」(日本経済新聞1988年9月17日夕刊)と伝えらえれている。前例はある。
北京五輪は中国に外からの風を当てると期待し、今後の中国に肯定的な影響を与えるとの見方がある。北京で確かにバスを待つ人たちが列をつくるようになったとすれば、その一例だろう。だが、それは全中国に広がるのだろうか。北京だけにとどまるのではないか。北京でも五輪が終われば元に戻るのではないか。こんな非政治的な話ですら、影響はわからない。
一方、悪影響を心配する声も多い。メディアに対する過剰な取材規制は、必ずや摩擦を起こす。中国にとって好意的ではない報道がなされ、中国の対外イメージを低下させる。にもかかわらず、なぜあのような規制をするのか。北京にかつて駐在したアングロ・サクソン系の元記者で人権問題に詳しい知人によれば、それは北京五輪の「成功」の定義が中国当局と外国人であるわれわれとでは違うせいだという。外国からみれば、中国が「開かれた国」に変わったとするイメージを植え付けるのが成功であり、上に述べた「外の風」論も、それに対する期待である。だが、この元記者によれば、中国当局にとっての「成功」は、当然ながら五輪が無事故で終わることであり、中国人選手の活躍によって中国国内の「団結」を強めることにある。開会式のパフォーマンスをみても、あれは中国人向けの国威発揚ショーであり、対外イメージを考慮したものではなかった。
中国の人たちが自信を深めるのは確かだろう。それは当然であり、批判すべきではないのかもしれない。が、それに対する外国の批判的な目が強まるのも事実だろう。9日朝見た米ABCのニュースはエドワーズ上院議員の醜聞の後に、北京五輪開会式を伝えた。会場から遠くない所に住む失業者が「我々は鳥より悪い。鳥には巣がある」と語る。開会式会場の通称「鳥の巣」にかけた皮肉っぽい報道だった。自信を持つ中国。懐疑感を深める国際社会。その落差は中国と国際社会の摩擦要因となる。中国と付き合っていくうえでの覚悟を強めなければならなくなる。
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