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2008-06-01 00:00
『チャーチルが愛した日本』を読んで
小笠原高雪
山梨学院大学教授
ウィンストン・チャーチルといえば、1940年から45年まで英国の首相を務め、ルーズヴェルトやスターリンとともに連合国を勝利に導いた指導者として有名であるが、私はこの人物に対し、最近まで偏見を抱いていた。それは、ある対談(『吉田健一対談集成』小沢書店、25頁)のなかで、吉田茂元首相が、チャーチルについて「あの人は日本が嫌いだというから、わたしは会いにもゆかなかった」と語っているのを読んだことがきっかけであった(吉田元首相は1936年から39年まで駐英大使)。
ところが、今春出版された関榮次『チャーチルが愛した日本』(PHP新書)によると、実際のチャーチルは、1930年代から40年代にかけて日本との戦争回避を強く望んでいたばかりでなく、戦後も日本との和解に心を砕いていたということである。そして、チャーチルの親日的態度の背後には、若いときに日本を旅行し、当時の日本の自然や風物に触れて以来、終生日本に好意を寄せつづけた母親の影響が存在したということである。なかでも興味深いのは、1953年に訪英した皇太子殿下(今上天皇)を首相官邸に迎えて催された午餐会の席上で、チャーチルが次のように語っていることである。
「この食卓に飾られている一対の青銅の馬の置き物は、自分の母が1894年に日本から持ち帰ったもので、自分も愛好している。これを母に贈った日本人は、日本にはこういう美術を創る文化があったのに、西洋人はそれを認めようとせずに野蛮国のように扱い、日本が何隻かの軍艦をもつようになって、はじめて一流国として日本をみとめるようになったと語り、西欧諸国が外国のことを判断する基準に不満を洩らしていた、ということを母から聞いた。これは本当に含蓄のある言葉である。どの国もこのような美術品の制作に精力を用い、軍備には金を費やさないですむようにしたいものである」(同上書、197-198頁)。
いうまでもなく、チャーチルは単純な平和主義者ではない。しかし、同時に「軍備には金を費やさないですむようにしたいものである」という言葉には、彼の思考の奥深さが現れている。そして「日本が何隻かの軍艦を持つようになって、はじめて一流国として日本を認めるようになった」という日本人の不満を敢えて紹介していることは、チャーチルが良い意味の現実主義者であったことを示している。世界を「善玉」と「悪玉」に二分し、後者に戦争の一切の原因を求める思考に懐疑的であったからこそ、チャーチルはかつての敵国との和解に踏み出すことができたように思われる。本書を読んで、私のチャーチルに対するイメージは大きく変化したが、それにしても不思議なのは、「あの人は日本が嫌い」と吉田元首相が本当に思っていたのかどうかということであり、もしそれが本当であったとしたら、どうしてそのように考えるようになったのかということである。
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