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2008-05-05 00:00
画一的歳出削減は、政治の役割放棄である
青木勇人
大学院生
湯下博之氏の4月24、25日付け投稿「ODA削減は日本のためにならない」に同感である。わが国の財政事情がきわめて厳しいのは事実であり、中長期的に見て財政再建が重要な政策課題であることは否定できないが、だからと言って歳出削減を杓子定規に当てはめることは、百害あって一利なしである。ただでさえ国際的地位を低下させているわが国にとって、ODA削減はそれに拍車をかけることにしかならないだろう。しばしば「量よりも質」という議論がなされるが、いつまでもそうとばかり言ってはいられない。
それにしても、ODAに限らず、この数年間のわが国における「改革」を振り返ってみると、いずれも歳出削減の論理ばかりが優先してきたことが分かる。もちろん予算にはこれまで多くの無駄遣いがあったであろうから、それを排除するのは当然であるとしても、おおよそすべての政策に歳出削減を当てはめて、画一的に進めすぎてきたのではないだろうか。最近、後期高齢者医療制度をはじめとする医療問題が世間の関心を集めているが、「医療崩壊」と呼ばれる昨今の状況は、社会保障費を毎年2200億円削減するというキャップをかけ、財政再建至上主義の「改革」を無理強いしてきたことによって生じたものである。
湯下氏が引用している町村官房長官の発言にも見られるように、財政再建を進める上では、なかなか特定の項目を例外にはできないという事情もあるのかもしれない。しかしながら、これこそは政治の放棄にほかならない。無駄遣いを徹底して排除する一方で、必要な予算は思い切って増額する、というメリハリが不可欠である。それこそが政治の役割である。政治を定義してしばしば「希少資源の権威的配分」と言われるが、予算配分の調整が難しいからと言って、画一的に削減目標を当てはめようとするのは、日本政治の機能不全である。今こそ財政再建至上主義からの脱皮が急務であるが、ワイドショーで戯れる最近の権威なき政治家たちに、「権威的配分」などそもそも期待できないのであろうか。
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