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2008-04-26 00:00
聖火リレーと「新しいオーストラリア」の行方
佐島直子
専修大学教授
2カ月前、首相の謝罪に涙する先住民で埋め尽くされた首都が、4月24日、真っ赤に染まった。この異様な光景は、長く「白豪主義」の圧制に呻吟してきた先住民の目に、果たしてどのように映ったのだろうか?オーストラリア全国から、中国人留学生がキャンベラに召集され、中国の「国威」を発揚し、「聖火」を「守った」。現地には、少なくないチベット支持者がいたようだが、映像を見る限り、どうみても多勢に無勢である。
中国人留学生は、声を張り上げ、功を競うように拳をかざした。無数の「五星紅旗」に囲まれ、聖火リレーは一見、粛々と終了した。最終ランナーは、シドニー・オリンピックの水泳金メダリスト、イアン・ソープである。中国は、オーストラリアの聖火リレーを「大成功だった」と胸を張っていることだろう。しかしながら、自国の過去に真摯に向き合い、その人権弾圧に静かに頭をたれた首相は、何故にこの在り様を許したのか?
答えは明白だ。「白豪主義」を捨てた民主主義の国オーストラリアでは、誰にでも「言論の自由」が保障される。「行動の自由」もある。中国人留学生は、オーストラリアの「自由」に守られている。そして事前にラッド首相は、「聖火の『防衛』には中国側の手を借りない」と断言し、実際中国当局が派遣した青い服の「聖火防衛隊(?)」の併走を2名に留め、その行動を制約した。「治安」は、「Australian way 」(The Age 紙)で維持したのである。オーストラリアは自由と民主主義の原則に則り、国家主権を行使したにすぎない。ラッド政権は、政治的に中国に迎合したわけではない。おそらくは日本政府も、オーストラリア政府の今回の対応を踏襲するだろう。
だがその結果、キャンベラでは「文化大革命」もかくやと思われる、異様な光景が眼前に繰り広げられたのである。ラッド政権が今後、内外の人権問題について、どのように向き合って行くか、「新しいオーストラリア」の行方は、日本にとって「映し鏡」である。既に現地紙は、北京オリンピックが最後の聖火リレーとなるだろうと論じ、ヒトラー政権下のベルリン・オリンピックの映像を重ねている。「力」の前に「正義」が屈することは歴史が許さない。
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