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2008-04-08 00:00
日本は、チベットとオリンピックについて毅然とせよ
鈴木馨祐
衆議院議員
チベットでの騒動から早くも1ヶ月弱が経った。依然として実情は明確ではないし、周辺への波及も予想されるところだ。BBCのカメラの前での僧侶の訴えを見ても明らかなように、中国当局の公表している事態が真実と考えることは困難である。そもそも事実を公表できない理由があるから事態を隠そうとしている、という諸外国の判断はきわめて妥当だろう。チベットのような、歴史的経緯の中での今回のような運動が、果たして内政問題であると断言していいのか、改めて考えなくてはならないだろう。
また、北京オリンピックの開会式について、チベットでの人権問題を理由に欧米諸国を中心に欠席をする動きが広まっている。そんな中で日本の政府首脳のこれに対する態度は非常にあいまいである。開会式ボイコットの「可能性」があることすら公式には認めていない。「成功を祈る」ということを繰り返すだけだ。その背景には外交交渉上のカードということもあるのかもしれないが、経済的な関係や歴史的な経緯から、過度の感情的なナイーブな配慮が働いているように見えなくもない。そもそも外交カードという意味であれば、日本がとりうるオプションの可能性のレンジを可能な限り広げておくことこそが、戦略的な交渉力の強化になるにもかかわらず、それと逆の動きをする理屈も無いわけだから、後者が一番の背景なのだろう。与野党を問わず政治の世界も、そして経済界も、そんな旧態依然とした世界の中にいるようだ。
しかし、その点についても、我々は過去の教訓を忘れるべきではないだろう。かつて天安門事件のあと、世界中から孤立していた中国に救いの手を差し伸べ、国際社会への復帰に尽力したのは日本だった。この日本の動きがなければ、その後の中国の経済発展にも影響があったに違いない。そのようなリスクある決断の結果、何が起こったか。結果としては、日本の常任理事国入りへの反対、日本企業への嫌がらせ、東シナ海ガス田での一方的な開発、冷凍餃子事件や領事館員自殺事件での不誠実な対応、反日デモを積極的に抑えずに国内の不満のはけ口に日本を使う、というようなことが、中国政府の判断として行われてきた、というのがその後の歴史だ。
なにもけちなことを言うつもりはないが、今の状況において、日本が人権問題に関する世界の中国への厳しい目にあえて逆らって、中国の国威発揚に力を貸すことが、正しい外交判断なのか、我々は一度考えなくてはならないだろう。自由、人権、民主主義、法の支配といった価値観を、その原則に持つ国として、これらの問題にはナイーブな議論に惑わされることなく、毅然とした態度をとるべきなのではないだろうか。
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