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2008-03-28 00:00
嘆かわしい集団的自衛権と集団安全保障の混同
湯下博之
杏林大学客員教授
先日、或る会合で日本の国際貢献のあり方についての議論があった際、或る専門家から「日本では、国会においてさえも集団的自衛権と集団安全保障が混同されていて、自衛隊の海外での武力行使については、すべて集団的自衛権の行使になると考えている人が多い」という説明があった。そのような状況では、日本の国際貢献について、まともな議論は出来ず、国際社会における日本の行動や考え方が極めて不適切なものとなってしまい、日本の国益にも反するし、国際社会にとっても好ましくない結果となることが懸念される。
先ず、集団的自衛権というのは、すべての国に認められている国際法上の権利で、自国と極めて緊密な国が武力攻撃を受けた場合に、自国自身は武力攻撃を受けていなくても、攻撃した国に対して反撃を加えることが出来る権利である。日米安全保障条約において、米国自身は武力攻撃を受けていなくても、日本が第三国から武力攻撃を受けた場合には、米国が日本を攻撃した国に対して反撃を加えるということを日本に約束しているのは、この集団的自衛権に基づくものである。
日本は、国際法上は集団的自衛権を有しているが、米国が武力攻撃を受けた場合に、その攻撃をした国に対して日本が反撃を加えるということを米国に約束していない。その理由は、日本国憲法第9条がそのような集団的自衛権の行使を禁じているからというのが、日本政府の立場である。いずれにせよ、この問題は、自国又は自国と極めて緊密な国に対して加えられた武力攻撃に対する自衛権の行使の問題であり、通常、その背景には国際紛争の存在が想定される。
他方、集団安全保障というのは、これとは全く別のものであり、自衛権とは関係がない。即ち、集団安全保障というのは、国際社会が全体として平和を維持し、或いは回復するための仕組みであって、国際社会の一員であるどこかの国が他国を武力攻撃する場合には、国際社会の全員が協力してその攻撃をやめさせるための措置を執るというものである。その措置には、経済制裁のほか、武力行使も含まれる。
国際社会は、国内社会とは異なり、政府もなければ警察もないので、国際法で武力行使は禁じられてはいるものの、それに違反して武力を行使して他国を攻撃する国が出た場合にどう対処し、或いは、そのようなことが起こらないようにするためにどのような仕組みを作るかが問題になる。武力攻撃を受けた国や、その国と極めて緊密な関係にある国は、自国の自衛権や集団的自衛権を行使できるが、それのみでは不十分である。しかし、自発的に警察の役を買って出る国にまかせればよいという訳にも行かない。やはり、国際社会としてのきちんとした仕組みが望ましい訳で、国連憲章がそのような仕組みを作っており、安全保障理事会が国際社会としての意思決定をするという制度になっている。
このような集団安全保障に参加することは、国際社会の一員として当然のことと言えようし、経済制裁はもとより、武力行使への参加も憲法が禁じているとは言えないと思う。憲法第9条は、「国際紛争を解決する手段」としての武力を放棄しているのであって、憲法の前文から見ても、武力の行使を含む集団安全保障への参加を禁じているとは解釈し難い。日本の国際貢献については、以上のことをよく頭に入れて考えることが大切であると思う。
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