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2008-02-26 00:00
小さなマナーを復活させよう
湯下博之
杏林大学客員教授
「江戸しぐさ」と呼ばれる行動様式がある。例えば、雨降りの日に傘をさして余り広くない道を歩いていて、前方から来るこれも傘をさしている人とすれ違う際、傘がぶつからないように互いに傘を反対側に少し傾ける仕草のことである。このような仕草は、誰でも自然に身につけているものだと思っていたが、最近は必ずしもそうしない人を少なからず見かけるようになった。
また、障害物があったりして道が狭く、人が同時にすれ違うことができない場所などで、どちらかが道を譲るということが起こる訳であるが、その際に、譲られた人が譲った人に対して何らかの挨拶をするのが当然と思っていたが、現在の日本ではそうしない人が多いように思う。私の外国での経験では、例えば男性と女性がすれ違う場合は男性が女性に道を譲り、女性はにこっと笑って軽く会釈をするとか、あるいは「サンキュー」等と言って通って行くのが普通であった。ところが、現在の日本では、女性が何も言わず、表情も変えず、こちらを向きもしないで通って行くことが多い。道を譲ったことは、当然のことかあるいはそもそも存在しなかったこととして無視されているような感じである。
電車の乗り降りについても、かつて「一降り、二乗り、三発車」等と言われ、電車が駅に着いたら先ず降りる人を降ろし、それから乗る人が乗って、最後に発車するということがモットーとされた。そうすることにより全体がスムーズに流れるし、気持ちも良いからである。このことは現在でも或る程度は守られているが、降りる人が降りる前に乗り込もうとする人が結構いるのも事実である。電車が駅に着いたら、乗る人はドアの前を避けて横に並び、降りる人が二列で降りられるようにすれば、全員が気持ち良く、かつ、さっさと乗降できるのに、電車が駅に着きドアが開いて降りようとすると正面に乗る人が立っていて、その人をよけないと降りることができないといったことも珍しくない。
日常生活の随所で見られるこうした出来事は、ちょっとした心配りで自分も他人も気持ち良く暮らせるかどうかが分かれる点であり、小さなことではあるが、人生にとって持つ意味は決して小さくない。現在の社会が、物欲中心で金銭がすべてといった風潮になり、心がぎすぎすしてしまい、心の病に悩む人が多いといわれるが、これを治すためにも、気持ち良く生きられる社会を作ることが大切であると思う。
上記の諸例は、社会生活のマナーと言われるものであり、これ以外にも多くのマナーがあることはご存知のとおりであるが、これらは実現の難しい理想論ではなく、かつては広く普及していたものも少なくない。こういった社会生活のマナーを復活させれば、この世の中は、現在のような荒んだものから、はるかに住み心地の良い明るいものになることは間違いないと思う。しかも、その実現のために予算や法律が要る訳でもない。少しでも多くの人が、その気になるかどうかだけの問題である。
最近文科省が公表した小中学校の新しい指導要領案が、道徳教育の目標として「基本的な生活習慣、社会生活上のきまりを身に付け、善悪を判断し、人としてしてはならないことをしないようにする」ことを含めていると報ぜられているのは心強い。しかし、学校だけに任せるのではなく、大人の私達が率先して見本を示すことが必要であると思う。誰でも知っている小さな良いマナーを復活させようではないか。
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