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2008-02-07 00:00
新時代の「安保文学」を読みたい
伊奈久喜
新聞記者
日米同盟の再確認・再定義が必要ではないか、などと書けば、日本の内政に対する無知をさらけだすことになりかねない。福田政権は日米同盟とアジア政策の共鳴という、当然ともいえるし、抽象論でもある外交路線を表明している。日米同盟の強化ととられる動きには、関心を向けない。安保再定義となれば、普通に考えれば、集団的自衛権の解釈の見直しが避けられない。福田首相にとっては聞きたくない議論である。しかし、日米関係を少しさかのぼり、かつ東アジアの変化を考えれば、日米同盟の再定義はいま少なくとも頭の体操でもいいから、東京の外交・安保コミュニティでは議論されてしかるべきテーマである。
日米安保共同宣言によって日米同盟の再定義・再確認がなされたのは1996年である。いまから12年も前である。その間に日本周辺の安全保障環境にはどんな変化があったのか。
第一に、中国の成長は予想を上回る勢いで進んだ。これに反比例するかのように、日本の地位の相対的低下も進んだ。日本のGDPはいまや世界の10%を割り込んだ。日米同盟がこの状況にどう対応するかの議論を避ければ、惰性で続く同盟になる。
第二に、朝鮮半島の南北対立構造の変化である。1996年の日米安保共同宣言は、朝鮮半島有事が心配されるなかでまとめられた。だから共同宣言に続いて「日米防衛協力のための指針」が合意され、日本では周辺事態法ができる。その南北関係はすっかり変わった。韓国だけでなく、米国も融和主義に陥った。李明博大統領の出現によっても、その方向性には変わりがないだろう。
第三に、当然ながら、9・11テロ後の世界全体の変化もある。
第四に、話のスケールは小さくなるが、日本国内では防衛省の変化もある。あの守屋事件の影響で、防衛省は増田好平次官、高見沢将林防衛政策局長ら、メディアから「理念先行型」と批判される人たちが中枢に入った。ジャーナリストの好奇心からすれば、上のような情勢変化を理念先行型の防衛省中枢がどのような「安保文学」で表現するのか、それを読んでみたい。
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