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2008-01-18 00:00
捕鯨問題に対して「科学的」対応を
福嶋 輝彦
桜美林大学教授
1月15日南極海の日本の捕鯨船に米「環境保護団体」シー・シェパードの活動家2名が乗り込んだ事件は、16日夜日本のテレビでも大きく取り上げられるに至った。しかし、この手の展開は十分予想された出来事であり、日豪両政府とも冷静に対処し、18日には2名は豪政府の巡視船に引き渡され、一応事件は解決した。とはいえ、豪国内のメディアは、大声を張り上げて連日の対日非難に終始している。シー・シェパード側の情報操作の巧妙さもあるのだろうが、南極の豪鯨保護海域内での捕鯨を違法とする豪連邦裁判決を告げる文書を「平和的に」手渡そうとした二人を、「海に突き落とそうとし」、「人質として」ロープで拘束して「暴行を加え」、船上に縛りつけ、極寒の中を「2時間以上も」放置した、許せんといった報道が四六時中流れてくる。特に、日頃NGOなどの強硬な抗議活動に批判的なラジオ・コメンテーターまでもが、シー・シェパード側の発表を鵜呑みにするばかりか、平和的抗議が相手に通じず、日本側が「豪の海域内で」このような強硬手段に訴えるのなら、もはや自制は不要だ、政府は断固たる手段で捕鯨を阻止すべき、としきりに煽る始末である。
ブログでも、似たような強硬意見が流れているが、中には日本人の「鯨殺し」を残酷と非難するのであれば、われわれはインド人に牛を食べるなと言われたときに何も抗弁できなくなるではないか、と冷静な意見も出されている。鯨食は野蛮とするエスノセントリックなダブル・スタンダードが、メディアで大っぴらに語られることは減ってきたし、少なくとも対日非難一色であった数年前よりは、世論に落ち着きが見られる。やるのなら日本の沿岸でやれ、と捕鯨そのものは否定しない意見さえ珍しくなくなった。日本側からの反論が、以前よりは精力的に行われるようになった成果かもしれない。
ところが、日本の主張の中で、一つ気になることがある。5万人のオージーがニセコのスキー場に繰り出す時代である。豪国民の中には、今日の日本人は普段は鯨肉を食べない、特に若者は食べたことさえない、それなのに深刻な財政赤字にもかかわらず、調査捕鯨に多額の税金を投入している、ことを知っている人は少なくない。実際、生まれも育ちも東京の下町近くの筆者も、鯨肉を食べるのは数年に一度あるかどうかといった程度である。男の子だったら誰もがキャッチャー・ボートという言葉に勇壮さを感じていた子供の頃に、あれだけ肉が高かったにもかかわらず、学校給食以外に鯨を食べた記憶があまりない。仮に商業捕鯨が再開されたとしても、それが商業ベースで成り立つのか大きな疑問が残る。この点についての反論も、自給率の低い日本は食糧不足という非常事態に備えておく必要があるという程度で、説得力は弱いと言わざるをえない。
それゆえ、日本が捕鯨を唱えるのであれば、世界の漁業資源全体の枯渇の未然防止・持続的な管理という観点を前面に押し出してもらいたい。いや、世界一の水産資源消費国であるならば、そうしたグローバルな漁業資源管理レジーム構築のために、率先して強力なリーダーシップを発揮すべきである。そうすることが、狂信的な反捕鯨論者と豪のような反捕鯨国の普通の国民との間に、楔を入れる一番効果的な方法ではないだろうか。そのためには、いい加減うんざりするが、今後も反捕鯨狂信論に対して粘り強く反論を重ねていくことが不可欠であろう。
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