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2008-01-11 00:00
福田首相は徳川吉宗か慶喜か
伊奈久喜
新聞記者
正月のテレビはなぜか時代劇が目立つ。それにならって表題のテーマを考える。あくまで例え話である。各種の時代劇や時代小説で得た知識を前提にしており、史料を参照したわけではない。人物論は人口に膾炙したイメージに基づく。
吉宗は八代将軍であり、紀州藩主から将軍になり、享保の改革に取り組み、徳川幕府の中興の祖といわれる。紀州藩主になるまで、さらに将軍になるまでの過程では、ライバルが次々に死亡し、毒殺説もある。肖像画をみる限り、迫力ある風貌である。一方、慶喜は、いわずと知れた最後の将軍だ。水戸藩主として強烈な個性を発揮した徳川斉昭の息子である。英明とされるが、頭のいいひとにありがちな、欲のない人柄だったようだ。写真が残っているが、端正な風貌であり、迫力はない。
こう書いてくると、ご本人には失礼だが、福田首相はどうも吉宗ではなく、慶喜に似ているように思えてしまう。改革者ではない。最後の将軍である。報道各社の総選挙情勢予測では、民主党への政権交代の可能性が大きいとされる。福田慶喜の例えを発展させれば、慶喜の前任者、十四代将軍家茂は、若く、病弱だった。貴族的風貌も安倍晋三前首相に重なる。それは福田=慶喜説を補強する。
小沢一郎氏はかつて、黒船(1853年)から明治維新(1868年)まで15年かかったと語ったことがある。細川政権(1993年)から15年が2008年である。細川政権成立によって日本政治は連立時代に入った。それが15年理論であれば、連立をめぐる霧が晴れるのが2008年なのか。
本欄の読者には民主党政権の外交政策を心配するひとが多いように思える。明治維新の例え話を続ければ、尊皇攘夷の志士たちがつくった明治政府は幕府の開国路線を継承した。政権をとれば、おそらく小沢氏はこんな口調で語る。「国連中心主義ってマスコミが張ったレッテルでしょ。民主党は日米同盟が重要ってマニフェストに書いてあるの、知らないの?インド洋での給油継続、あったりまえじゃないの。だって国連決議もあるんだよ」
社会党の村山富市首相があっさり安保堅持・自衛隊合憲に切り替えた前例もある。民主党政権になっても外交政策面での心配は要らないといえば、楽観が過ぎるだろうか。仮に政策転換の予測が単なる楽観論だった場合、民主党政権はできたとしても、強力な野党、自民党に挑まれ、1年持つかどうかで崩壊する。尊皇攘夷の明治政府ができていたら…と考えれば、それがとっぴな推論ではないとわかる。
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