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2008-01-07 00:00
自衛隊員が語り継ぐべき教訓
佐島直子
専修大学教授
「冷戦」を「長い平和」と呼んだのはジョン・ルイ・ギャディスである。その「長い平和」の中で、日本は発展と繁栄という恩恵を得た。しかし、この「長い平和」は、核抑止力という強い緊張関係がもたらした硬直の時間でもあった。いわば「デモクレスの剣」の下で、ヒトビトは恐れおののき、息をつめて暮らしていた。その結果、世界は二分され、あらゆる国が二者択一の選択を迫られた。しかも、この「冷戦構造」がそのまま国内の政治状況に反映された日本社会では、国民一人一人が「我(味方)」「彼(敵)」の関係になった。そして、「我・彼」の判然としないヒトは、どちらからも「敵」とみなされた。
このことを防衛庁(当時)・自衛隊の内側から説明すると、ウチ(部内)・ソト(部外)の明確な自覚である。具体的には、駐屯地(基地)から一歩外は敵の渦中であり、強い緊張を強いられた。冷戦期、防衛庁の主要機関は六本木に所在していたが(桧町駐屯地、現在の東京ミッドタウン)、初めて桧町駐屯地勤務となる隊員には、懇切丁寧な「保全教育(秘密保全に関する教育)」がなされるのが通例だった。そして、教育終了後には、手書きの一枚の地図が渡される。そこには、周辺の飲食店が「飲食可」「飲食不可」に二分され、六本木歓楽街(ソトの世界)の真の姿が描かれていた。
自衛隊員にとって、ソトは恐ろしい世界なのである。自衛官は制服を脱ぎ、事務官は徽章をはずして、敵陣を行かねばならない。地方出身者の多い、防衛庁・自衛隊が、誘惑多い都心のど真ん中にあって、厳然と秩序を維持できたのは、高い緊張感のなせる技である。そして、ソトの世界の緊張があまりにも強いので、ウチなる弛緩もまたやんぬるかな、だった。塀の中(駐屯地内)での飲食やOBを含めた防衛関係者との会合では、気を許し、安心して、羽目をはずしたドンちゃん騒ぎをするのが通例であった。
昨今の連続する防衛省スキャンダルは、友敵関係の曖昧な冷戦後の世界で、緊張を解かれた隊員が、ウチ・ソトの別を見失い、弛緩の限りを尽くした結果であろう。ギャディスは、近著("Surprise, Security, and the American Experience", 2004)で「ヒトは、あるニュースをいつ、どこで耳にしたかを覚えている。それが歴史となるような大事件の特性である」(拙訳)と述べる。そして、真珠湾攻撃や9.11同時多発テロのような「衝撃的な出来事」の「記憶」がいかにして、米国の大戦略に影響を与えているのかを探る。しかし、「冷戦」という一見「平和」な時代、衝撃的な事件こそ少なかったが、規律と秩序が維持された時代の「記憶」こそが、自衛隊員が語りつぐべき教訓ではあるまいか?
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