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2007-11-13 00:00
「衆参ねじれ」は解散でないと克服できないか?
福嶋 輝彦
桜美林大学教授
「衆参ねじれ」状態に対して、速やかに衆院解散で民意を問うべきとの議論が出されているが、かねてからこのような考え方に違和感を抱いてきた。7月の参院選で民主党が参院第一党になったとはいえ、自民・公明の連立与党が依然として衆院で3分の2以上の超安定多数を確保している点には変りはない。ならば、衆院通過法案が参院で否決された場合でも、衆院で再議決できる権限が憲法の規定で認められているのであるから、粛々とその手続に従えばよい。ことに1年半以上の衆院任期が残されているからには、自民党を大勝させた2005年小泉郵政民営化選挙での国民の審判も尊重すべきであろう。
90年代以来の政治改革で言われてきたのは、候補者本位の選挙からの脱却、政策本位の選挙の追求であったはずである。そのためには、有権者が自らの投票行動の意味を認識する必要がある。たとえ7月の選挙で国民が与党に不信任をつきつけたとしても、参院選は政権交代の選挙ではなく、2年前の衆院選での投票が重みを持ち続ける。このことを国民に再認識してもらう、むしろいい機会ではないか。有権者には次の総選挙までの間、「衆参ねじれ」という政治の難局に際して、どちらの政党のほうがより真摯な姿勢で取り組もうとしたか、たっぷり時間をかけて評価してもらえばよい。さらに、今後日本の政治がより二大政党制に近づき、与野党間の政策の差異が小さくなってくると、「衆参ねじれ」は一時的な変則的状態ではなく、むしろ恒常的な状況として定着してくる可能性さえ考えられる。であれば、今すぐ安易に解散に走るより、与野党間で「ねじれ」処理の手続を十分に詰めることのほうが急務に思われる。今こそ政治家が国民のために汗をかく腕の見せ所だろう。ましてや大連立など、日常業務さえ円滑に進めばよしとするお役所的発想で論外である。
「ねじれ」克服において重要な鍵を持ってくるのは、メディアの対応であろう。メディアにはここで、政局中心の政治家へのぶら下がり取材よりも、国会を中心とした政治家の公的発言の確実な報道・分析に重きを置き、政党や政治家に対して思い切って各社独自の評価を堂々と展開してもらいたい。メディアがそうした責任ある姿勢で報道に臨むのであれば、報道される政治の側も自らの言動に責任を持たざるをえないし、報道を消費する側の国民もメディアの選択という形で政治に対する判断を下そうとするだろう。ジャイアンツや亀田一家など、スポーツ報道ではすでに実現しているではないか。こういう卑近な例を取り上げることを、ポピュリズム的と一蹴することなかれ。むしろ国民が望んでいるのはわかりやすさであり、そこを一番効果的に衝いたのが小泉元首相であった点を、もう一度思い起こすべきであろう。
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