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2025-02-25 00:00
トランプ劇場が始まったが、トランプはレーガンと違う
舛添 要一
国際政治学者
1月20日、ドナルド・トランプが第47代アメリカ大統領に就任した。大統領選中に約束した公約を実行に移すべく、大統領例などを発令して、矢継ぎ早にバイデン政権からの政策変更を図っている。その急展開に世界は戸惑っている。基本路線はアメリカ第一主義、Make America Great Againということであり、他国との協力など二の次である。トランプは、地球温暖化対策の国際的枠組みであるパリ協定から離脱した。また、WHO(世界保健機関)から脱退した。感染症には国境がない。だからこそ、世界的規模で対応する必要がある。
さらに、トランプは、国籍について出生地主義を見直し、不法移民の子どもなどには国籍を与えないことを明言した。出生地主義はアメリカ憲法修正第14条第1節で定められている。トランプは、バイデン政権下の多様性・公平性・包括性(DEI)政策を終わらせるとして、連邦政府が認める性別は男性と女性のみだと宣言した。性的マイノリティ、LGBTを敵視している。 トランプは、4年前の議会乱入事件で起訴された約1500人に恩赦を与えた。その中には、禁固18年とか22年とかが言い渡された極右団体の指導者たちも含まれている。貿易については、世界中に関税を課すとしている。1980年の大統領選挙では、ロナルド・レーガンが現職のジミー・カーターを破り、当選した。レーガン政権が発足した直後に、アメリカ政府の招きで訪米し、各地を巡ったので、当時のことをよく覚えている。
当時のアメリカ人は、イランのアメリカ大使館の人質の救出もできないことや経済不況に落胆し、「強いアメリカ」の復活を主張するレーガンを支持した。レーガンは、米ソ冷戦下で、ソ連を「悪の帝国」と呼んで非難し、軍拡によってソ連を力で追い込んだ。1983年には「スターウォーズ計画」と呼ばれる戦略ミサイル防衛構想、SDI(戦略防衛構想)を打ち上げたが、それらの政策が奏功し、ソ連の弱体化を招いた。1985年にはゴルバチョフが書記長となり、米ソ関係は好転した。ソ連は崩壊の道を辿り、1989年のベルリンの壁崩壊へとつながる。レーガンが当選した当時のアメリカは、明るい雰囲気であった。私が訪米中の1981年3月30日の午後、レーガン大統領が銃撃されるという暗殺未遂事件があった。そのとき私は、ホワイトハウスで大統領補佐官と会談していたが、すぐに会談は中止となった。レーガンは、幸い一命を取り留めた。病院でのユーモアに富んだジョークをはじめ、彼の対応ぶりが国民的人気を高めた。医師や看護師に対して、「君らは民主党員ではないだろうな」と言って、診療の現場を和ましたのである。
トランプも大統領選中に銃撃されたが、レーガンのような明るい反応はできなかった。国民の分断は促進するが、融和と団結を実行する気は無さそうである。トランプの経済政策が、物価高を抑制し、アメリカ企業の国際競争力を高め、「偉大なアメリカの復活」につながるかどうかは不明である。経済政策に失敗すれば、国民の支持は退潮する。レーガン政権の歩みを振り返ることは、今のトランプ政権を観察するときに役に立つ。分断を助長するトランプには、レーガンの国民団結の精神を学んでほしい。アメリカの統一が保たれてこそ、世界の平和と繁栄がもたらされることを忘れてはならない。
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