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2007-10-26 00:00
連載投稿(2)東アジアFTAはILOの諸原則に留意せよ
池尾愛子
早稲田大学教授
9月のILOシンポジウムでの議論を聴いていると、1920-30年代の日本のことが思い出された。第1次世界大戦(1914-19年)中、イギリスなどが消費財の生産・輸出を削減して、軍需生産に力を注いでいる間に、日本が綿製品の世界市場でシェアを一挙に増やしていた。ILO第1回総会で「夜間における婦人使用に関する条約」が採択された。1925年頃には、日本の労働条件の悪さ――とくに女性の長時間・深夜業――が、女性の深夜業務を禁止していたインドなどから、フェアな競争をしていないと厳しく批判されるようになった。イギリスからは、日本の労働条件が改善されなければ、日本よりさらに労働条件の劣悪な中国において労働条件改善のインセンティブが働かない、と批判された。さらに、細井和喜蔵の『女工哀史』(1925)によって、女工たちの労働条件の劣悪さが国内農村やILOにまで伝わることになった。当時の日本の紡績工場で働く女性の80%が遠隔の農村の出身で、会社の寄宿舎に住みこんで2交代制で働いていた。
労働条件の改善は、各国が足並みをそろえて国内政策を調整しなければ実現しない。日本では1929年に女性の深夜業務が禁止され(1997年まで)、1933年に女性の炭坑労働が禁止された。また、労働時間の短縮(8時間半労働)も実現されていく。もっとも、こうした背景には技術進歩を体化した新しい機械の導入があったことが見逃せない。技術進歩は、労働環境の改善にもつながりうるのである(北川信解説編『谷野せつ 婦人工場監督官の記録』、ドメス出版、1985年)。
ところで、2006年のILO総会報告書の一部である『仕事の世界におけるパターンの変化』(日本語版72頁)には、近年、ILOが国際的な社会的基盤を構築するために地域的なイニシアチブを触発してきたと記されている。EUが先導者として特に注目されている。マーストリヒト条約(1991年)、アムステルダム条約(1999年)により、EU欧州委員会には、欧州産業連盟(UNICE)、欧州公共企業体センター(CEEP)、欧州労働組合連合(FTUC)との間で、ヨーロッパ全体に及ぶ合意を促進する権限が与えられた。これによって、労働条件改善に向けての幾つかの合意が成立し、法的拘束力のある欧州指令へと転換されてきたとある。さらに、北米自由貿易協定(NAFTA)、南米共同市場(MERCOSUR)、南アフリカ開発調整会議(SADCC)などの地域自由貿易協定も、ILOの原則や慣行に準拠することの多い労働および社会的側面を含んでいるとある。そして、様々な仕組みが、労働保護を損なう傾向を抑制して法律の強化を促進するという共通の目標、特に仕事における基本的原則と権利に関わる目標を達成することに効果を発揮しているとされた。
では、東アジアの地域協定ではどうなるであろうか。なかでも中国は広大で人口も多いので、専門家たちは最近、省ごと、産業ごとの特徴を捉えるように努めている。石炭産業をみると、炭坑の災害事故が中国の炭鉱各地で起こっていることが伝えられている。振り返れば、K.マルクス(1818-83)は、彼が生きていた当時の資本主義経済の主要エネルギー源を提供していた炭鉱での労働条件の劣悪さを特に観察して、搾取や労働力商品の概念を提出し、そうした経済体制は長続きせず、いつかは危機に陥ると予言したといっても過言ではない。ILOは、1944年のフィラデルフィア宣言において「労働は商品ではない」と言明することによって社会主義運動と一線を画したうえで、労働条件の改善に世界的に取り組んできた。
日本では、中山伊知郎(1898-1980)が1950年代に中央労働委員会会長を務めて、最も激しかった三井三池炭鉱の労働争議を調停したことがよく知られている。彼は、ILO総会にも政府代表として参加するほか、Industrial Relations(労使関係)をHuman Relations(人間的関係)として捉えなおすように提案していたことが想起される。炭鉱の歴史を長く刻むつもりであれば、災害との闘いの歴史も同時に刻まなくてはならない。そうでなければ、人権(Human Rights)や人間の安全保障(Human Security)が焦点となる。このあたりがクリアされなければ、地域自由貿易協定には進めないとの不安がよぎる。(おわり)
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