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2024-03-22 00:00
北朝鮮の甘言蜜語?と岸田対北外交の危うさ
鈴木 美勝
日本国際フォーラム上席研究員
今年の日朝関係を巡る動きは、年明け早々に北朝鮮・金正恩(朝鮮労働党総書記)から岸田文雄(首相)宛に届いた異例のメッセージで始まった。正恩は1月6日、元旦に発生した能登半島地震の被災に見舞い電を発出、その中で日本の首相に初めて「日本国総理大臣閣下」の敬称を使って「(被災地住民が)一日も早く安定した生活を回復することを祈ります」と表明した。翌2月になると、今度は妹の金与正(党副部長)が岸田訪朝の可能性に言及するなど思わせぶりの談話を発表した。談話は国会での首相発言にも言及し、対日改善の意欲の表われとも、「甘言蜜語」とも受け取れる内容だ。これら唐突な北朝鮮からのメッセージの狙いは何なのか。日本側には、「拉致問題解決の糸口になるのでは」と期待する向きもあるが、歴代首相の小泉純一郎、安倍晋三の下で実現した日朝交渉を巡る事前の動きは今の岸田政権にはない。対北外交の危うさのみが浮かび上がってくる。
◇虚実乖離する岸田発言
金与正談話(2月15日)が注目されたのは、第一に、日本が拉致問題を「障害物」と見なさなければ「両国が近づけないはずがなく、首相が平壌を訪問する日が来ることもあり得る」との認識を示し、第二に「日本が政治決断を下すなら、両国はいくらでも新しい未来を共に開いていける」と述べたことだ。そして第三点で、談話発表から6日前の衆院予算委員会での岸田答弁に触れて「過去の束縛から大胆に脱し、関係を進展させようとする真意から出たものであれば、肯定的に評価されないわけがない」とも強調した。 確かに、以上の内容から日朝関係改善に向けて秋波を送って来たと見るのは可能だ。しかし、北朝鮮が拉致問題を「解決済み」とする従来の立場を変えたわけではない。しかも、談話は与正の「個人的な見解」とわざわざ断った上でのものだ。政府は「留意する」とした一方で、「(拉致問題を解決済みとの見解は)全く受け入れられない」(官房長官・林芳正)と冷静に打ち返したが、そもそも正恩メッセージ後の一連の首相発言は的確であったのか。まず、今回の北朝鮮の動きは、朝鮮半島を取り巻く国際潮流の変化を踏まえて注視しなければならない。昨年9月、金正恩がロシア極東を訪問し、対ロ接近を加速、さらに南北関係が悪化した。北朝鮮は1月15日の最高人民会議で、韓国を「第一の敵対国・不変の主敵」と位置付け、50年以上にわたった南北統一事業を廃棄、対韓政策を抜本的に転換させた。このプロセスにこそ、昨年9月を起点にロシアを後ろ盾にした北の新たな対外政策の本筋の流れがある。一方、安倍(首相)が2019年5月、トランプ・金正恩米朝首脳会談の挫折後に突然打ち出した「前提条件なしに金正恩と向き合う」との方針、それをそのまま引き継いだ岸田の方はどうか。内閣支持率が低迷し続ける中で次のような発言を繰り返している。
「日朝関係を新たなステージに引き上げるため(略)金正恩委員長との首脳会談を実現すべく、私直轄のハイレベルでの協議を進めてまいります」(1月30日、施政方針演説)、「私自身が主体的に動き、トップ同士の関係を構築していく」「さまざまなルートを通じて働き掛けを絶えず行っている」(2月9日、衆院予算委員会)正恩の見舞い電が報じられると、拉致被害者の家族・関係者の間では、メッセージをテコに「活路を切り開いてほしい」と期待感が高まった。家族・関係者の高齢化による「時間との勝負」との点を考えれば、気持ちは理解できる。が、岸田発言は安倍のフレーズに加えて、「私直轄のハイレベルでの協議」「私自身が主体的に動く」と弾みのつくレトリックを上乗せした。あまりに国内を意識した前のめり発言。それが、過剰な期待感を持たせるバブル発言と化しているのではないか。
◇対北朝鮮外交三原則
「時の首相がそこまで言うからには、通常なら水面下で既に外交的動きがあるはず。具体的な裏付けがなければならないが、それが感じられない」。かつて対北朝鮮外交に深く関与した外交官OBは首をかしげる。拉致問題を念頭に日朝関係が一部動いた小泉第1次訪朝の日朝交渉(2002年)あるいは安倍内閣下での日朝ストック ホルム交渉・合意(2014年)、二つの前例と岸田現政権下の現状とを比較すると、岸田発言は実態が伴わないレトリッ クと言わざるを得ない。1990年代末、拉致問題が外交の俎上(そじょう)に乗ってから、対北朝鮮外交を進めるに当たって不可欠なものは、①政権基盤が強固である②政官一体で取り組む③情報収集ルートは多数あっても交渉ルートは一本化する─との三原則だ。①について言えば、2002年も14年も、政権基盤に問題はなかった。②はどうか。事前交渉のキーパーソン、外務省アジア局長は、2002年が田中均、14年は伊原純一。少なくとも山頂(首脳会談での拉致問題解決)にチャレンジするためのベースキャンプ設営までは政官に乱れはなかった。③はこうだ。北との接触は警察ルートでも行われているが、それは情報収集が本来の目的。交渉につながるきっかけは出来ても外交交渉の任を担えるルートではない。
当時の首相動静を分析すると、それぞれ事前の動きを検証する上で重要な示唆を与えてくれる。2001年9月、アジア大洋州局長に就任した田中は、前任者・槇田邦彦から引き継いだ「ミスターX」ルートの実態を確認するため訪中を含めて極秘裏に動いた。その結果、「事前交渉をやってみる価値がある」と確信、12月12日と18日、首相・小泉と立て続けに差しで会って、日朝交渉のゴーサインを得た。翌年になると、秘密交渉の状況報告のため、小泉との差しの会談は、小泉訪朝が明るみに出る前の7月まで、少なくとも18回に及んだ。2013年7月、同局長に就任した伊原はどうだったか。就任してすぐ、訪米、訪中した後、翌14年5月、日朝局長級協議のストックホルム合意(北朝鮮が拉致問題の全面調査を約束)に到るまで、水面下での地ならしを進めた。この間、伊原は外務事務次官・斎木昭隆と共に二人だけで首相・安倍と会い、詳細な報告を重ねた。それは13年10月から翌年4月まで計14回に及んだ。では、現在のアジア大洋州局長・鯰博行はどうかと言えば、首相への報告が不可欠な対北朝鮮外交を巡る特別の動きは、 首相動静からは見て取れない。差しで首相と協議したことはなく、外務事務次官・岡野正敬と共に二人だけで首相と会ったのも、わずか2回。対中関係など他の案件での面会が主であることを示唆している。
◇突出する岸田発言の怪
北朝鮮側の外交セオリーで言えば、南北関係が悪化すると、米国に急接近し、時の政権と虚々実々の駆け引きを展開。政権末期になってレガシーの欲しい大統領なら前のめりに応じるケースがある。典型例がクリントン政権だった。現バイデン政権は、初の米朝首脳会談まで応じた前大統領トランプと真逆。北への対応は終始冷ややかだ。その辺りを見れば、今回の北の動きからは、ロ朝接近をテコに韓国・尹錫悦政権との緊張状態をつくり出した上で、日韓間にクサビを打ち込む狙いが伝わってくる。昨年8月の日米韓首脳会談に反発した金正恩が翌9月に訪ロ、ウクライナ戦争で軍需支援が欲しいロシアとの距離を一気に縮めた。そこが起点となり、連携強化された日米韓トライアングル体制を揺さぶる─それが新たな金正恩戦略だ。「金与正談話」はそのような文脈で読む必要がある。談話前日の2月14日、韓国・キューバ国交正常化が電撃的に発表された。キューバは北朝鮮の「兄弟国」。北の衝撃の大きさは半端でなかったであろう。 以上の大きな潮流の中で、北と鋭く対峙(たいじ)する対外事情と融和的な対応を迫る「内圧」とのジレンマにある日本に照準を絞れば、「政治とカネ」の問題で支持率が低下する岸田政権には揺さぶりが利く、と北が判断しても不思議ではない。北朝鮮との関係改善を巡っては、北が本気になった時しか打開のチャンスはない。対北外交の要諦は三原則+1、北の「本気度」を見極めることだ。1990年初頭の金丸訪朝と2002年の小泉訪朝が、その要諦に当てはまる時だった。今回の北からの秋波─融和的メッセージに読み取れる「甘言蜜語」─は、日米韓体制への揺さぶりが狙いであって、「本気」 は微塵(みじん)も含まれていない。外交はギャンブルであってはならない。(敬称略)(時事通信Janet・e-World/2024/3/15配信より)
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