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2024-01-19 00:00
海図なき世界:日本外交はいかに備えるか
鈴木 美勝
日本国際フォーラム上席研究員
世界的な選挙イヤーの2024年、最大の注目点は11月5日の米大統領選挙だ。前回同様、民主党バイデン(大統領)対共和党トランプ(前大統領)の再戦になる公算が大きく、トランプが超大国の最高権力を再び握れば、アメリカ内外に激震が走る。海図なき世界の到来─日本外交はどう対応すべきか。第1期政権でトランプの剛球・悪球を巧みにかわし、日米関係の安定を維持した安倍政権の再来はもはや望めず、トランプが再び率いる場合のアメリカとの関係は未知の領域に突入する。外務省高官が周辺に漏らした。「トランプ再来ありを想定して、11月までに果たして何ができるか」─。
◇新駐米大使、「盟友」不在の中で着任
トランプ第2期政権が誕生した場合、日本の対米外交は視界不良の航海を余儀なくされる。具体的な理由としては、何をしでかすか分からぬ大いなる「トランプ・リスク」、さらに非業の最期を遂げた元首相・安倍晋三の不在、加えてもう一点、当時の安倍対米外交を裏舞台で支えた谷内正太郎(当時国家安全保障局長)も、実質的な調整役だった山田重夫(同審議官)も永田町にいないためだ。米側でも、大きな変化が予想される。山田と相性の良かったポッティンジャー(大統領副補佐官・国家安全保障局アジア上級部長)は、トランプ時代の対日外交のキーマン。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者を経て海兵隊に入隊、アフガニスタンやイラクでの従軍経験がある変わり種のエリートで、初の米朝首脳会談実現や強硬な対中政策立案に寄与した。日本とも密に意思疎通を図ったポッティンジャーは、山田とは「盟友」と言える仲。「安倍・トランプ」の良好な関係構築に貢献した。が、最終的には、大統領トランプの無軌道ぶりに嫌気がさし、辞表をたたきつけてホワイトハウスを去った。「トランプが勝利しても政権に戻ることは有り得ない」(日米関係筋)。
一方の山田は昨年暮れ、新駐米大使としてワシントンに着任した。もはや盟友はいない。「ポッティンジャー・ロス(喪失)」の大きさを分かった上で対米外交の最前線に立つことになったのだ。だが、米大統領選まで既に10カ月を切った今、現実的にやれることは限られている。短期的な目標ばかりでなく、「危機的な世界の中の日米関係」を深化させるために中長期的な戦略目標を描いてアメリカの深遠部にまで踏み込み、じっくり付き合っていく覚悟が不可欠であろう。
◇戦間期の危機に動いた日本人
米大統領選の結果はどうあれ、世界が1世紀に1度の地殻変動が進行しているのも事実だ。そうした中で、よく指摘されるのが、1930年代の国際危機と酷似しているという点だ。確かに、第1次世界大戦の終戦から第2次世界大戦勃発までの戦間期(1919~1939年)は、現在の国際状況に似ている。第1次大戦後、ベルサイユ体制の下で国際秩序が構築されたが、1939年、独裁者ヒトラーが電撃的にポーランドに侵攻、第2次世界大戦への引き金を引いた。その80余年後、突如としてウクライナを侵略、同国を支配する野望をむき出しにしているのがロシア、その一強体制の頂きに君臨するプーチンだ。戦争は、やがて満2年を迎える。にもかかわらず、先行きはまったく不透明だ。ウクライナの抵抗を支える米欧はウクライナ支援疲れを色濃くしている。このまま第3次世界大戦に突入する可能性もあるとの見方すらも浮上している。こうした中、日露戦争後に名著「日本の禍機」(1909年)を著し、以後も祖国日本の膨張主義的外交に警鐘を鳴らし続けた歴史学者・朝河貫一(イエール大学教授、1873~1948年)の生誕150周年記念シンポジウムが昨年末、東京・立教大学池袋キャンパスで開かれた。ウクライナ戦争で一気に高まった現在の国際的危機を1930年代に重ね合わせ、日米開戦の危機を回避しようとして戦間期に動いた朝河の思想と行動を問い直そうという市民向けの公開イベントだった。
題して「戦争に向かう世界:1930年代と朝河貫一」。開会に当たって、元首相・福田康夫のあいさつの後、イエール大学教授ダニエル・ボツマンの基調講演などのほか、ラウンドテーブルでは、神戸大学名誉教授・五百旗頭眞を中心に専門家の増井由紀美、山内晴子、三牧聖子、陶波が討論、1930年代における国際危機の最中に行動した知識人、朝河の思想と人間性に多角的な光が当てられた。「日露戦争の勝利で日本はおごり高ぶり、中国に領土を拡張していった」(福田)、「日露戦争後には、禍(わざわい)の兆しがあったが、わが国全体が朝河の警告を十分にのみ込めなかった。朝河の本質は大変な愛国者で、普遍的価値を大切にするリアリストでもあった」(五百旗頭)
◇加藤良三と朝河貫一「日本の禍機」
朝河貫一はと言えば、駐米大使を6年7カ月の長きにわたって務めた加藤良三も、彼を敬愛してやまない外交官だった。アメリカン・スクールのエースとして活躍した大使時代には、イエール大学のキャンパスに「朝河記念庭園」を造成するのに尽力してもいる。加藤と朝河との「出会い」は1982年、北米局安全保障課長時代に衆院議員・椎名素夫(元外相・椎名悦三郎の次男)の事務所にしばしば出入りするようになった頃だ。ある日、国際派として知られ、アメリカ人にも一目置かれていた椎名から、1冊の本を読むよう勧められた。それが「日本の禍機」だった。同じ頃、椎名事務所の常連客だった増岡一郎(衆院議長・船田中の秘書)や米海軍から筑波大学に留学していたトーケル・パターソン(後に国防総省日本部長)とも気の置けない仲となり、言葉を尽くして日米関係に関して議論する関係になった。「日本の禍機」は2部に分かれ、前半は日露戦争終了後、日本の道筋が変わってきて、このままでは、将来、日米戦争に突っ込んでしまうと危惧する部分。後半は「アメリカ(人)論」だった。加藤によると、「朝河書簡集」にある政治家・鳩山一郎(後に初代自民党総裁)宛ての手紙(1939年)では、その慧眼(けいがん)を持ってヒトラーはやがて狂気の道を突き進み、ついには自殺するしかなくなるとの予言もしている。後半部分の「アメリカ(人)論」は、当時のアメリカ世論の動向を見据えた分析で、今なおリアリティーのある「アメリカ(人)論」と加藤は絶賛する。その評価を踏まえると、加藤の「アメリカ観」に大きな影響を及ぼしているに違いない。
◇加藤の「アメリカ論」が暗示するトランプ対策
加藤の外交官生活は43年、その中の在外勤務21年のうち15年半もアメリカ勤務だった。が、自身はアメリカの「専門家」と言えるほどの知見が身についたとは言えない、と謙遜する。「アメリカはそう簡単に『専門家になった』とは言わせない国」(「日米の絆」)だからだが、アメリカの深奥部を理解するための努力は惜しまなかった。通常の外交の仕事に加えて、政府・議会・司法の三権や軍、そして、ジャーナリズム・文化・スポーツ関係の民間における日米間の人脈形成に力を注いだ。その流儀の一端を紹介すると、各分野で「柱」になる人を一人、二人見つけて「その人たちにこちらの情報を集中的に提供して相談し、示唆を得ながら輪を広げる」(前掲書)というものだ。特に、自身の野球好きも相まって、アメリカの「国技」とも言える国民的娯楽の大リーグ野球を通じての大使活動は、アメリカのグラスルーツにも日本の存在感を示した。加藤が自身の「アメリカ(人)論」に絡めて、先進的なアイデアを実践したのは、以上の人脈形成の手法に止まらない。ワシントン、ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス等々、東西両海岸沿いの大都市ネットワークに偏重する日米関係の構築ではなく、中西部、(深)南部、南西部各州など地方とのパイプを重視して、「面」での結びつきを強化、草の根交流を厚くする「サブナショナル・ディプロマシー(外交)」の推進だ。米50州は各州が権限の強い「主権国家」。それぞれ経済規模も、社会的、文化的背景も州ごとに違っている。曰(いわ)く「ある種の実力差はあるにせよ、各州一律に2名の連邦上院議員をワシントンに送り込んでいる。小さな州とはいえ、ハワイ州にはダニエル・イノウエ、アラスカにはテッド・スティーブンスのような圧倒的な存在感のある上院議員(いずれも故人)がいた。すなわち、各州は大小にかかわらず『独立主権国』のような力と気概を持っている」。
その心は、トランプ・ハリケーンが再来、猛烈な暴風雨が日本に襲って来ても、日米関係を下支えする地方との頑丈なパイプ、地方レベルでの幅広く堅固な拠点が築かれている限り、日米関係に及ぼす影響は最小限で済むのではないか─と。一朝一夕にはいかずとも、中長期の視点を常に忘れず、想定外のモンスターに地道に備え続ける忍耐と知恵が必要だ。議会とのパイプと米軍─自衛隊ルートを一段と強化するのは当然だが、加えて、50州とは雇用創出効果を生む経済的結び付き拡大を念頭に置くべきということだろう。加藤の例えを借りれば、外交とは駅伝のようなもので、そのプロセスは国家ある限り永遠に続く。海図なき航海をしなければならない日本外交の重要なポジションの一つを任された新駐米大使・山田。たまさか、世界的な地殻変動を加速するかもしれない米大統領選の号砲が鳴る2024年1月、そこを起点に次走者にタスキをつなぐまでの区間を、日本のためにひたすら走り続ける。それこそが、国家を代表する特命全権大使のミッションとなる。走り終わってみての評価は、後世の歴史家が下すことになる。(敬称略)(時事通信/2024/1/12配信より)
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