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2023-10-10 00:00
日本外交論の新局面:「岸田外交批判」二つの潮流
鈴木 美勝
日本国際フォーラム上席研究員
今、日本外交は、「百年に一度」とも言われる時代の混沌(こんとん)の中にあって重大な岐路に立たされている。米中が鋭く対立する中、ユーラシア大陸ではウクライナ戦争が長期化し、アジアに目を転じれば、北朝鮮がミサイル発射を繰り返す。台湾海峡では中国が軍事的威圧によって緊張状態を日常化させ、新常態が生まれている。
こうした歴史的転換期にあって岸田政権が打ち出した方策の一つが、昨年末に閣議決定した安全保障3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)だ。3文書では、その核心部分として敵の弾道ミサイルに対処するための敵基地攻撃能力の保有、防衛費の今後5年間での倍増を打ち出すなど、大胆な安保政策にかじを切った。加えて、外交面でも岸田政権は、対中戦略の枠組み(日米豪印「クアッド」、日米韓トライアングル)における多国間連携の強化に向けて、超大国・米国との並走を一段と加速させた。これに対して、自民党の一部を含む保守勢力とアカデミズムを含むリベラル勢力の双方から、戦後外交の伝統的路線・日米同盟を基軸とする岸田政権の外交安保政策を批判する潮流が、具体的な形となって現れてきた。
◇「石橋湛山ブーム」の裏側
外交論を巡る新たな動きは、まず、今年没後50年を迎えた言論人の元首相、石橋湛山(1884~1973年)見直しで始まった。湛山は1911年、東洋経済新報に入社後、一貫して日本の植民地政策を批判、植民地を放棄して軽武装・貿易立国を目指すべきだとの論陣を張り、「小日本主義」を唱えたことで知られる。昨今の「湛山ブーム」に火をつけたのは”独立自尊”を標榜する右派の言論誌「月刊日本」(主幹・南丘喜八郎)だ。同誌は2023年1月号で「没後50年 今こそ、石橋湛山に学べ」を特集、その後も毎月、湛山に関する論稿を掲載しているが、そこに通底する論調は、現在の岸田外交を「対米追従」と決めつけた批判だが、同誌の湛山再評価論が永田町に飛び火、自民党や立憲民主党、国民民主党の議員が中心となった議員連盟「超党派石橋湛山研究会」の結成にまで発展した。主要メディアでもがぜん注目されるようになったのは、それがきっかけだった。
6月1日に開かれた第1回研究会(注1)には、約40人(署名を含めると、50人)の国会議員が結集。共同代表として元防衛相・岩屋毅(自民党麻生派)、元国家戦略担当相・古川元久(国民民主党)、元農林水産副大臣・篠原孝(立憲民主党)の3人が、幹事長に前法務相・古川禎久(自民党茂木派)がそれぞれ就任した。このほか、元自民党幹事長・石破茂も参加、7月になると、主要メディア(注2)が大きく取り上げ、政局に絡めた報道によって、「湛山ブーム」の生臭さが一段と増した。同研究会は3月、湛山ファンである立憲の篠原と若手議員の小山展弘が始めた純粋な勉強会に端を発しているが、「野党議員だけで集まっても意味がない。現実政治にコミットしなければ」と、「月刊日本」の南丘がけしかけて、超党派議員連盟の研究会にまで発展したのだったという。仕掛け人の南丘は1945年生まれ、ラジオ日本出身の名物記者。早稲田大学在学中に「石橋湛山全集」を読破した根っからの湛山ファンで、97年に言論誌「月刊日本」を創刊した。立ち位置は、左右イデオロギーにはこだわらず、民族派ナショナリストとして、反「対米追従」の立場から安倍晋三、竹中平蔵を批判し続けてきた。
今回の石橋湛山没後50周年を巡る動きの背景には、米中対立の激化やウクライナ戦争が長期化する中、安倍(元首相)が敷いた外交安保路線をひた走る首相・岸田文雄を批判する狙いがある。安倍は、保守合同(1955)後の自民党総裁選で湛山が総裁の座を争ったタカ派・岸信介の孫という因縁もある。優れた政治的思潮もパワーに転化しなければ意味がないというのが、南丘の考えだが、数の結集を最優先するあまり、前のめりになり過ぎると、湛山思想の核心を見失うリスクも伴う。石橋湛山記念財団理事・田中秀征(元経企庁長官)が指摘する。「湛山先生の最大の特徴は、単騎出陣をいとわないところだろう。時務に臨んで、単騎出陣する志士によって新しい時代の扉は開かれるのだ」。田中の言葉は、自民党一党支配に終止符を打った1993年の政権交代劇、その起点になったのが「日本新党」を一人で旗揚げした細川護熙(元首相)の行動力にあったことを念頭に置いたものだ。徒党を組まずとも単騎出陣でもやり切れる強い意志の持ち主こそが、新時代の扉を開く志士になれるのだ─と。筆者流に解釈すれば、すなわち、個の堅固な意志があって初めて湛山思想の核心にある「独立自尊」「寛容」「現実主義」の言霊が本物のパワーに転化するという意味だ。田中の言葉を研究会のメンバー一人ひとりがどう受け止めるか。
◇「人間の安全保障」の活用促す流れも
「自由で開かれたインド太平洋」構想を首相・安倍から引き継いだ岸田の外交路線。これにあらがうもう一つの流れは、伝統的外交安保コミュニティーが拘泥する「大国外交論」に批判的なアカデミズムの思潮として出始めている。
7月24日夕、千代田区内幸町のプレスセンター10階。「アジアの未来」研究会(共同代表・添谷芳秀/マイク望月)(注3)が「岐路に立つアジアの未来」と題する報告書(注4)を発表した。報告書は、岸田政権が昨年12月、10年ぶりに閣議決定した新たな「国家安全保障戦略」に関して「外交による対話や協力への目配り」に一定の評価を下しながらも、大国間競争にとらわれがちな外交政策論議の現状を批判。「軍事面も含めた権力政治(パワー・ポリティックス)と地政学的側面および経済安全保障への強い関心」、さらには「日本の自衛力と日米同盟」への過度の依拠が際立つと指摘した上で、新たな「国家安全保障戦略」が示すパラダイムは「日米同盟の強化がアプリオリの前提であり」、結果的に「このパラダイム転換は、アジアの未来を絡めとり、分断するリスクも内包している」と言い切った。(注5)
研究会の報告書取りまとめに中心的な役割を担った添谷は20年前、「ミドルパワー外交」を提起したことで知られる。それは、右肩上がりの経済成長時代に構築された「大国日本という虚像にとらわれた日本外交論」(当時、慶応義塾大学教授)から脱却できない日本外交に疑問を呈し、「日本の身の丈に合った外交」の推進を求めたもので、勇気ある提言(注6)だった。添谷の「ミドルパワー論」は一石を投じ、大きな反響を呼んだ。ただ、当時、外交安保コミュニティーの世界では「リベラル国際秩序」を前提にした「大国外交論」が主流だった。添谷が提起した概念は単なる物理的な国力の規模を測るパワーではなく、日本のパワーをどのような影響力に転化できるかが「ミドルパワー外交論」の核心だったが、残念なことに、その概念および考え方は十分に理解されたとは言えなかった。
だが、グローバリズムの行き詰まりに加えて、新型コロナによるパンデミック(感染症の世界的流行)、ウクライナ戦争(力による一方的な現状変更の試み)を目の当たりにしている現在、新たな視点で日本外交を見つめ直す必要が生まれてきた。日本にとって、「リベラル国際秩序」の立て直しに主体的に関わるに当たって、添谷らの報告書には大国外交論の発想とは次元の異なった重要な視点が含まれているように思える。
これに関連して、楽観的空気が支配する同報告書の中で、筆者が少なくとも重要部分と見なすのは、例えば、地球温暖化、感染症の世界的流行、不安定地域における紛争に伴う難民など国境を越える諸問題に対処するため、「人間の安全保障」という概念を有効活用し、「近年顕著になっている地政学およびイデオロギー的な分断の橋渡し役を担い、より包括的・効果的な地域・国際協力の推進に取り組む必要がある」とする点だ。記者会見で添谷は、報告書について「正直言って問題提起にとどまっている」と率直に認めた上で、「発想の転換が起きないことには袋小路に陥る」と指摘、現在の危機意識をあらわにした。しかし、添谷らの動きは、超党派で発足した「石橋湛山研究会」と違って、報告書を担う政治勢力があるわけではなく、求心力に欠ける。20年前とは大きく変貌した異次元の国際環境の中で、「ミドルパワー外交論」の再活性化と併せて現実への適応力が問われている。(敬称略)(時事通信/2023/9/13配信より)
(注1)第1回研究会には、ハーバード大学の中国研究者の泰斗、故エズラ・ボーゲルに学び、湛山研究者でもあるビジネスマンのリチャード・ダイクが講師として招かれた。
(注2)朝日新聞「石橋湛山 先見の思想」、毎日新聞「超党派で石橋湛山研究会」のほか、サンデー毎日、東洋経済オンライン、国際情報サイト・フォーサイトなどが報じた。
(注3)「アジアの未来」研究会には、李鍾元早稲田大学教授、渡邊啓貴帝京大学教授ら国際政治学者および東郷和彦静岡県立大学客員教授(元外務省ロシアスクール)が参加している。
(注4)「アジア未来研究会」の本プロジェクトは、鳩山由紀夫(東アジア共同体研究所理事長、元民主党政権首相)が活動を財政的に支援した。しかし、添谷によると、報告書の内容に関して「鳩山元総理の意見を聞いて取り入れることは、一文字もなかった」。現に、事あるごとに「友愛精神」を口ずさむだけの元首相・鳩山は「この報告書の内容であれば、『私は名前を連ねたくない』」と明確に拒否したという。
(注5)このほか、報告書では、ミドルパワー外交の推進とその際には「様々な地理的プリズム」を採用すべきで、安倍政権以来、最上位に掲げる「インド太平洋」というプリズムについては、「中国への大綱や封じ込めさえ意図した地域の方向性」を示唆する点を考慮し、「アジア太平洋」「ユーラシア」「東アジア」といった地理的プリズムと同列併用して政策論議すべきだと強調するとともに、15の主要提言を行った。
(注6)添谷芳秀「日本の「ミドルパワー外交」―戦後日本の選択と構想」(ちくま新書)
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