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2023-08-23 00:00
移民受け入れ側の権利とは?
倉西 雅子
政治学者
グローバリストが推進してきた移民政策は、権利保護の対象を移民に限るとする不平等で片務的な原則によって支えられてきました。言い換えますと、移民偏重の同原則が、受け入れ国側を公然と‘差別’していたと言っても過言ではありません(差別と逆差別は表裏一体・・・)。移民する側は、それが個人的な要求であっても自らの文化の受容を受け入れ国側に求めることができる一方で、受け入れ国側は、同要求を無碍には断れず、内外から強い受け入れ圧力を受けることとなるのですから。今日、移民問題が社会的分断の要因となり、公共空間において様々な問題や軋轢が生じる原因も、日本国政府を含めて各国政府も遵守している同原則に求めることができましょう。
それでは、移民に関する不平等原則をどのように正すべきなのでしょうか。先ずもって確認すべきことは、受け入れ側の権利の具体的な内容です。受け入れ側の権利には、集団レベルと個人レベルの両者があります。集団レベルの権利とは、団体としての集団が有する権利であり、国家の場合には、その筆頭に上がるのが主権とも表現される法や政治上の権利となります(領域に関する権利も受け入れ国側の権利・・・)。すなわち、国境管理や国籍等を決める権利を含めて主権に関する権利は受け入れ国側の権利なのです。この側面からしますと、今日の国家の大多数が民主主義国家であり、主権在民を原則としていますので、参政権、すなわち、自治の権利は総体としての国民が分有していることとなりましょう。日本国では、地方自治体であれ外国人に参政権を認めていませんが、これは、仮に同権利を外国人に認めますと、いとも簡単に外国人によって受け入れ国側の統治権力が行使される道を開くこととなるからです(外国人支配、内政干渉、属国化を招くリスクの発生・・・)。
第二に挙げる権利とは、自然発生的な集団における共通要素に関する権利です。共通要素としては、例えば、国民相互のコミュニケーションのツールとなる言語や社会的な慣習などを挙げることができます。近年、行政や企業等に対して多言語への対応を求める声もありますが、仮に、移民する側の全ての言語に対応するとなりますと、膨大な労力とコストを要することとなりましょう。国内が複数の言語空間に分裂してしまう作用に加え、話者が少数となる言語は、コミュニケーションのツールとして使うこともできなくなります。多言語対応を含め多文化対応の要求とは、現実には不可能であるにも拘わらず、受け入れ国に対して無理を強いているのです。
第三に尊重されるべき権利は、長い年月をかけて形成されてきた固有の歴史、伝統、文化等に関する権利です。その多くは、上述した共通要素に関する権利とも重なるのですが、既得権としてこれを認めませんと、全人類が自らの来し方が不明となり、伝統や文化も失われることとなりましょう(グローバル・カルチャー一色に・・・)。何故ならば、固有の歴史、伝統、文化とは、外来文化の刺激を受けて発展するケースはあるものの、基本的には個人ではなく集団において形成される性質のものであるからです。
以上に集団レベルにおける主たる権利について述べてきましたが、受け入れ国側の国民の基本的な自由や権利が移民する側と同等に尊重され、保護されるべきは言うまでもありません。先日、パリにあって暴動が発生しましたが、移民問題については、保護されるべき受け入れ国側の権利を明確にすると共に、その保護に関する国際的なコンセンサスを形成することこそ、急務なのではないかと思うのです。
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