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2023-07-07 00:00
アファーマティブ・アクションが偽善であるもう一つ理由
倉西 雅子
政治学者
フランスの首都パリでは、先月末よりアルジェリア系移民2世の少年が警察官に射殺された出来事をきっかけとして、放火や略奪を伴う暴動が発生しています。この事件、2013年にアメリカのフロリダ州で起きたトレイボン・マーティン射殺事件に端を発したBLM運動とも状況が類似しており、リベラル系の過激な活動団体がサポートしているとする指摘もあります。その背後には、破壊と混乱を以て社会を変革しようとする‘危険思想’の影も伺えるのですが、事件の背景には、人種差別問題があることは否定のしようもありません。それでは、この人種差別問題、アファーマティブ・アクションをもって解決するのでしょうか。アメリカのアファーマティブ・アクションとは、1960年代に人種差別反対運動としてアメリカ社会を揺るがした公民権運動の成果の一つとして理解されがちです。公民権運動では、その名が示すように、アフリカにルーツを遡る黒人の人々が白人と同等の市民権を要求されました。道運が功を奏し、今日では、人種の違いに拘わらず、アメリカ市民は、参政権を含め、皆等しい内容の市民権を有しています。法の前の平等は実現したのですが、法的な平等では差別や格差は解消できないとして、結果の平等を求めたことから始まったのが、社会的に不利な立場にある人々に対して優先的に入学や就職の機会を与えるアファーマティブ・アクションです。
自由と平等との間の二律背反性と同様に、公民権運動とアファーマティブ・アクションとの間には本質的な相反性があります。とりわけ、数が限られており、参加者の間に競争・競合的な関係がある状況下では、後者が、優遇条件を持たない人々にとりまして不平等で不公平な制度となるのは既に前回の記事で述べたところです。法の前の平等に照らすならば、受験資格において全ての市民を平等に扱い、採点に際しても一切の偏向を排除すれば、その結果は、誰がみても人種差別なき‘公平な結果’なのです。つまり、選抜を要する競合・競争状態では、‘結果の平等’よりも‘結果の公平’が重要なのです。かくして、アファーマティブ・アクションとは、全ての人々から支持されているわけでもなく、政策としての論理的正当性に疑いのある政策なのですが、もう一つ、問題点を挙げるとすれば、差別を受けてきたとされる特定の集団の中の一人あるいは少数を選んで優遇するというピックアップ式の政策手法です。この方法ですと、大学の合格者やポスト獲得者の数だけを見れば、確かに人種間に差別はないように見えます。しかしながら、その他の人々はどうなのでしょうか。
アファーマティブ・アクションが始まってからおよそ半世紀の月日が流れておりますが、上述したように、今日なおもアメリカではMLB運動が起きており、未だに人種差別問題が解消していないことを示しています。言い換えますと、この事実は、同政策には、当初に期待されたほどの効果がなかったことを示唆しているのです。むしろ、上述した理由により、優遇措置を受けることができない白人の人々の間には、下駄を履かせてもらえる黒人の人々に対する不満が鬱積してしまいます。一方の黒人の人々も、一部の人々にはチャンスが与えられますが、全体を見ますと貧困が解消されたり、生活や教育レベルが上るわけでもありません。居住地域や婚姻などについても白人の人々との融合が実現しているわけではないのです。逆説的に言えば、優遇措置を受けるためには、現状を維持した方が好都合と言うことにもなりかねないのです。実施後の政策評価の結果、効果が認められなければ中止した方が良いと言うことになるのですが、同制度は、結局は、リベラルな人々、否、世界権力による偽善的な人類コントロール装置の一つのようにも思えてきます。結果の平等を掲げて差別されてきたとされる人々の中から数人を選び出し、自らの配下に置いてしまう一方で(植民地支配の手法でもあった・・・)、同グループには一先ずは恩を売ります。その一方で、完全に差別が解消されてしまいますと、自らのコントロールの手段を失うことにもなりますので、双方の反目をもたらすような‘不公平性’を予め制度に組み込んでおくのです。そして、この仕組みは、黒人社会が抱えている貧困、犯罪、麻薬・・・といった問題を、黒人の人々が自らの手で自発的に解決する道をも塞いでしまいます。アファーマティブ・アクションとは、結局は、‘上から’与えられた解決策であり、権力に常に依存せざるを得ない状況にあるためにコミュニティーの内部にあって自力解決能力を育てる機会を失ってしまうのです。
このように考えますと、フランスにあって、たとえアファーマティブ・アクション政策を導入したとしても、必ずしも解決に至るとは限らないように思えます。むしろ、世界権力の思惑通りに、社会的な分断が深まってしまうかもしれません。そして、マイノリティーとされるコミュニティーが自らが抱える問題に正面から向き合うためにも、一度、アファーマティブ・アクションを全廃してみるのも一つの試みなのではないかと思うのです。
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