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2007-10-12 00:00
ミャンマー制裁強化は民主化を遅らせる
田島高志
東洋英和女学院大学大学院客員教授
9月下旬以来、ミャンマーでは僧侶や市民の政府への不満を訴える大規模デモに始まった不安定な情勢が続いている。軍や警察の実力行使で取り敢えず事態は鎮圧されたが、今後の動静は必ずしも予断を許さない。その混乱の中で日本のジャーナリスト長井さんが射殺された事件は、まことに痛ましく許されない。しかし、この機会に、このようなミャンマーの事態を生むに至った背景をあらためて考えてみる必要がある。
ミャンマーでは過去45年間軍政が続いており、そのうち初めの約30年間は閉鎖的社会主義であり、世界から閉ざされていた。経済の疲弊によりデモと混乱が起り、それが鎮圧されて1990年新たな軍政が敷かれた。新軍政は1992年以来市場経済の導入を目指して自由化と開放化を徐々に進め、順調な滑り出しを見せたが、97年のアジア経済危機で海外からの投資が激減し、経済成長は止まった。軍政であるという理由で先進国からの援助がないまま経済回復は実現せず、軍政自身の稚拙な経済政策のみに頼っているため、最近の経済は世界のグローバル化の波から取り残され益々困難に陥り、国民の生活を圧迫し、最近の燃料大幅値上げなどを契機に僧侶までもがデモに立ち上がったのである。
1988年の混乱期にアウン・サン・スー・チー女史は担がれて民主化運動の指導者になったが、90年に総選挙を前にしたスー・チー女史が、総選挙で勝利したら軍の指導者をニュールンベルグ式の裁判にかけるなどと述べたため、軍は総選挙後政権を渡さなかった。同女史は英国と米国で育ったためミャンマー人の性格や国内事情を知悉せず、英米式の民主体制を直ちに採用することに固執しているため、90年代半ばの軍政との話し合いでも折り合いがつかなかった。
過去に政党のなかったミャンマーでは、軍はエリート集団で誇りを持っており、愛国心も強い。植民地時代以来、外国の支配に嫌悪を抱いており、長年の閉鎖主義により戦後や最近の世界の流れにも疎い。市場経済を導入したが先進国側が制裁政策を続けているため、欧米に対する不信感、嫌悪感は強まっている。今回の事態を受けて欧米はさらに制裁強化を行ないつつあるが、それは、軍政を益々意固地にさせ、民主化への歩みを遅らせ、国民の貧窮化を進めるだけであろう。
アジアの多くの国が軍事独裁や開発独裁から出発して徐々に民主化へ進んだ経緯を考えれば、現在ミャンマーに対して採るべき政策とは、軍政に対し、経済政策面での助言と支援を行ないつつ、民主化へ向けての助言と支援を同時に行なうことであると思う。それにより世界の流れを理解させ、国内の安定化と同時に民主化を急ぐことの重要性を理解させることが必要である。また、スー・チー女史に対しては、軍政と敵対するのではなく、一緒に協力して民主化への段階的道程を探り、牽引する方針を採るよう勧めるべきではないかと考える。
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