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2023-06-11 00:00
組織論からみた独裁の致命的欠陥
倉西 雅子
政治学者
共産主義に基づく一党独裁体制のみならず、古今東西を問わず、人類史には独裁体制というものが散見されてきました。その殆どに悪評が付きまとっており、‘独裁は素晴らしい’あるいは、‘独裁者、万歳!’という声も殆ど聞こえてきません。古代アテネに至っては、独裁者(僭主)を忌み嫌い、その出現を未然に防止するために、陶片追放という制度まで設けたぐらいです。しかしながら、残念なことに、ヒトラーが民主的選挙制度を踏み台とし、共産主義がプロレタリアート独裁を以て権力集中を目指したように、近現代に至っても、独裁体制が消滅したわけではありません。今日なおも、習近平国家主席を頂点とするパーソナル独裁体制が強化されている中国を見ましても、権力分立論は政治的タブーでさえあります。全国人民代表会議という‘議会もどき’が設けられていても、それは、お飾りにしか過ぎません。否、国家よりも中国共産党が上位にあるのですから、国家機構において如何に多数の機関が設けられていたとしても、指揮命令系統を見る限り、必ずしも権力が分立されているわけではないのです。司法分野でさえ、司法の独立性は蔑ろにされており、その証拠に政治上の犯罪が存在し、独裁体制に反対する国民は政治犯として刑罰を受けてしまうのです(刑罰どころか、天安門事件では、人民解放軍が自国民を虐殺している・・・)。
かくして独裁体制は今日に至るまで恐るべき‘耐久性’を示してきたのですが、同体制をこの世から消してしまう方法はあるのでしょうか。少なくとも一般的な組織論から統治機構を合理的に設計しようとすれば、あらゆる決定権を一人の人、または、一つの機関に集中させる独裁体制という選択肢が真っ先に除かれることは間違いありません。その単純明快なる理由は、特定の目的の実現、あるいは、特定の役割を担うために設けられる組織には、必ずや(1)決定、(2)実行、(3)制御、(4)人事、(5)評価の凡そ5つの基本的な機能を組み込まなければならないからです。
組織に組み込むべき基本機能が複数存在するということは、それは即ち、組織において各機能を担う機関を分立させる必要性があることを示しています。実行機関の独立性については、軍隊のように上意下達の徹底が要求される場合を除いて、今日では、立法機関と行政機関との間の分立は権力分立論として近代政治学において理論化され、民主主義国家では既に統治機構において採用されています。制御機能は、決定機関による権限濫用、権限逸脱、権力の私物化などを防ぎ、組織の健全性を保ったり、正常化するために必要不可欠の機能です。いわば安全装置であり、修復装置でもあります。また、人事機能の独立性は、各々のポストについて適者を選択するに際して重要な意味を持ちます。人事における独立性が確保されていませんと、人事とは、得てして構成員間の権力闘争や派閥争いの結果に過ぎなくなるからです。そして、評価は、組織の発展には欠かせない機能となりましょう。決定の結果に対する客観的な評価こそ、改善点として組織に環流される経路となるからです。
自己抑制や自己評価など、自らが自らの思考や行動を客観的な視点から見ることが難しいのは、誰もが認めるところです。独裁体制では、これらの分立させるべき諸機能が全て一つの決定機関に集中させていますので、安全装置なき暴走状態となるか、あるいは、発展なき停滞を招きやすいのです。最悪の場合には、独裁者、即ち、決定機関による‘暴走状態’が発生したとしても、如何なる外部的な機関もこれを止めたり、修正することはもはやあたわず、暴走車に同乗させられた全国民が‘重大事故’に巻き込まれることとなりましょう。権力が一カ所に集中させる独裁とは、人類の経験知や政治理論のみならず、組織論においても否定されていると言えましょう。そして、決定、実行、制御、人事、評価の諸機能の分立を制度設計の基礎に据える見方は、組織一般のみならず、統治機構を改善する上での指針となるのではないかと思うのです。
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