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2007-10-04 00:00
「東アジア諸国のあいだの相互理解」をめぐって
小笠原高雪
山梨学院大学教授
東アジア諸国のあいだの相互理解の促進を説く議論は本欄でも散見される。「東アジア共同体」という概念にどこまでコミットするかはひとまず別としても、近隣の国々同士がもっと向き合い、相互理解を促進してゆくことの重要性については、誰も異存はないであろう。筆者も東南アジア研究を開始した頃、現地紙に掲載される近隣諸国に関する記事のかなりの部分が欧米メディアからの転載であるのを見て、不思議な印象を抱いたことを記憶している。
もちろん、現地メディアからの転載記事を増やせば相互理解が促進される、というほど話は単純ではない。実際、上述のような現象を生む理由の一つは、信頼感の不足や価値観の相違にある。近隣諸国の政治的に微妙な問題を報道したり論評したりする際、第三者的立場で書かれた記事を援用するのは、無用の摩擦を避けるための知恵でもある。ひとことでいえば、信頼感の不足や価値観の相違などが上述の現象を生むのであって、その反対では必ずしもない。
また、いかに東アジア諸国のあいだの相互理解であるといっても、その主要な手段は英語のほかには考えられない。「ASEAN+3」人口の6割強は中国人であるが、だからといって、中国語を東アジアの共通言語にする、などということが可能であると考える人はいないであろう。この点に関しては、中国系が多数を占めるシンガポールが英語を共通語としてきたようなプラグマティズムに倣うことが適切であり、自然である。
以上のようにみてくるならば、さしあたっての課題の一つは、東アジア諸国の政治、歴史、文化などに関する書籍や論文などを出来るだけ多く英訳し、知的な共有財産として蓄積してゆくことであると思われる。そうした努力はこれまでもなされてきたであろうが、量・質ともに満足すべき水準に達しているとは到底いえない。この点に関し筆者はいくつかの提案を持っているが、それについては稿を改めて議論したい。
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