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2022-10-04 00:00
(連載1)河野デジタル相「黙祷」通達の問題点
倉西 雅子
政治学者
河野太郎デジタル相は、政治家の人材不足が指摘される今日にあって、‘改革派の旗手’としてメディアが注目する政治家の一人です。その一方で、同大臣ほど、不審の目で見られている政治家もいません。河野デジタル相をめぐっては、メディアと国民の評価が正反対なのです。
メディアは河野デジタル相を未来の首相候補として持ち上げ、デジタル化を大胆に進める改革者として演出してきたのですが、先日の安部元首相の国葬は、同イメージとは逆に、同大臣が‘全体主義’的であることを、明らかにしてしまったように思えます。国葬前日の26日に開かれた閣議後のオンライン会見にて「民間人材を含むデジタル庁職員約750人に黙祷するよう求める通知を出した」というのですから。
第1に、河野デジタル相の通達は、日本国政府の方針に反しています。同政府は、内面の自由の侵害、即ち、違憲となる可能性を考慮してか、国民に対する弔意の強制は見送っているからです。つまり、河野デジタル相は内閣の方針に従わず、自らの職権をもって弔意強要へと一歩踏み出したことになるのです。このスタンドプレー、‘一人の改革者による、勇気ある内部改革’という美名で済まされるものではないように思えます。否、筆者はむしろ、逆に、同デジタル相による独裁的で恣意的な職権行使や権力濫用と受け取りました。
第2に、「通達」という手法にも問題があります。日本国では、法令に基づかずに省庁が「通達」等をもって自らの管掌下にある事業者等に対して指導を行なう「行政指導」が頻繁に行なわれてきたため、法律に根拠を有する法治行政への転換が強く求められるに至った歴史があります。こうした経緯に照らしますと、今般の手法は、行政指導の時代への逆戻りとも言えましょう。同デジタル相は、今後、他省庁に勧告を出す権限、即ち、「勧告権」を積極的に活用してゆくと発言しておりますが、先が思いやられます。(つづく)
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