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2022-09-22 00:00
(連載2)英王室と皇室、国家統合の役割を巡る課題
倉西 雅子
政治学者
こうした状態は、国民の精神に対して善い作用を及ぼすとは思えません。熱心な支持者も少なくないかもしれませんが、常に外部から自己欺瞞を強いられますし、自らの心に正直であることが許されないからです。言い換えますと、表面的には国民と同じ目線を演じながら、実際には、国民の心理的犠牲、あるいは、‘内面の不自由’の下で求心型の統合が維持されるのであり、この統合の構図は、少なくない国民が内なる不満や疑問を抱えている以上、砂上の楼閣となるリスクが認められるのです。
君主を求心力とする統合体制が国民に苦痛、あるいは、卑屈な精神を強いるならば、君主と国民の双方にとりまして不幸ともなりましょう。さらには、英王室においては、目下、非英国系のメーガン夫人との婚姻を機に様々な騒動や闘争が起きていますが、今日では、皇族といえども個人の自由は尊重されるべきとされますので、このような自体を予防することは困難であり、王族や皇族の行動や選択次第では、統合どころか分裂や対立要因となりかねないのです。この流れからしますと、近い将来、立憲君主制による国家全体の統合が属人的な要因によって危うくなる事態も予測されるのです。
長期的に見れば、特定の個人、あるいは、一家族に統合の役割を期待するには無理があり、統合の機能は、固有の人格を持つ人ではなく、他の非人格的な存在に求めるべきように思えます(非人格的なものであれば、利権も生じなければ、腐敗することも堕落することもない・・・)。例えば、日本国であれば三種の神器も候補となりましょうし、ハンガリーのように共和制でありながら王冠を象徴としている国もあります。非人格的な存在であれば、国民に精神的な苦痛や圧迫感を与えることはありませんし、個人的な気まぐれによって不利益を被ることもありません。また、人のように時間が経過するにつれて本質的な変化に直面させられることもないのです。
国家とは、国民あってのものなのですから、現代では、国民の自由こそ最大限に尊重されるべきと言えましょう。未来の国民のために民主主義国家における君主制度に恒久性があるのか、このまま続けていけるのかという国家の根幹にかかわる課題については、しっかりと議論を積み重ねていく必要があるのではないかと思うのです。(おわり)
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