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2022-09-09 00:00
(連載2)真の「新しい資本主義」とは何か
岡本 裕明
海外事業経営者
コトラー氏は現在91歳。戦後の社会経済政治の移り変わりの生き証人でありかつ、学者として深い見地から推し進めていったマーケティングの権威の向かったところが「脱成長」は驚くべき展開であります。もちろん、私はコトラー氏の考えをもろ手を挙げて賛成するところにまでは至っていません。非常に感銘深い内容であるものの、政府や人々が果たしてこの論理のとおりになるのか、という疑問はあります。なぜなら欧米ほど強欲であるからです。それは私が30年間北米に住んで明らかに認識していることです。成長こそ全ての糧と考え、金持ちになるセミナーが花盛りとなり、働きすぎで人生を楽しめない人たちがより増えたようにすら感じます。そしてその一人は私であることも認識しています。
一方、コトラー氏は5つの視点のうち、「もし成長を減速させるのであれば、どの程度の速さで減速させるべきか?」という自問自答に「消費者支出が突然25%も落ちたら、その結果は直ちに有害で悲惨なものになるだろう。… 成長は、政治においても、経済においても、社会においても、疑う余地のない目標である。しかし、この目標は、資源が枯渇する世界では、最終的に災いをもたらす。だからこそ、低成長への移行がその答えになる」と述べています。これ、日本にピッタリ当てはまるのです。日本はバブル崩壊後、先進国における低成長国家として特異な状況にあります。日本の低成長の理由はここで述べきれないほどいろいろなファクターがあるわけですが、日本がアメリカのような強欲社会ではなく、全般的にフラットな社会を目指してきたことは事実であり、「脱成長」という言葉は必ずしも同意しませんが、成長より安定、安全、安心社会の構築でありました。これは一考の価値があると断言できるでしょう。文中、「Less is More」という発想を紹介しています。この考え方はジェイソン・ヒッケルという学者の2021年の著書「How degrowth will save the world」で使われている言葉で最近一部で話題になっているものです。直訳すれば「少ない方がいい」であり、対義語がmore is better です。昭和の典型で山本直純の森永エールチョコレートの「大きいことはいいことだ」のキャッチが思い出されますね。
私はこの10年ぐらいの生活で華美さが完全に抜けてきました。私が飽食を止めたのは秘書時代に飽食しすぎて続けられなくなったことにあります。会社の経費で世界最高レベルのものを食べ続けたけれど自分のお金では居酒屋しか行けないサラリーマンの性も感じたのでしょう。また、不必要にカロリー摂取を続けたことで「デブ」になり過ぎ、わざわざお金と時間を使って減量せざるを得なかったことに無駄を感じたのです。今では時々おいしいものを頂くことで十分な満足感を得られるようになったのです。
これが私流の低成長だと思います。2000年代初頭、高級ワインの入ったグラスをくるくる回しながら異業種交流会で普段会えないような人たちとの接点を必死に求めていた時代に懐かしさすら感じるようになったのは満たされた社会にいる幸福感がそのバックボーンであることに疑いはありません。(おわり)
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