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2022-09-08 00:00
(連載1)真の「新しい資本主義」とは何か
岡本 裕明
海外事業経営者
マーケティング論の世界的権威、フィリップ・コトラー博士が日経ビジネスに特別寄稿を寄せています。そのタイトルが「脱成長に向けた5つの視点」です。長文ながら吸い込まれるように数回、読み直しました。コトラーのパラドックスかと思うほど衝撃的だと思ったのは見方によっては氏のマーケティング論を否定しかねない内容だからです。ただ、私がスーッと理解できたのはこれが真の意味での「新しい資本主義」ではないか、と腑に落ちたからかもしれません。氏が何を主張したのか、単刀直入に数行で述べます。
「我々は資本主義という成長拡大を前提とする社会にいるが、これは天然資源が枯渇し、公害を生み、持続可能性という課題を突き付けた。70年代に起きた『成長限界』という議論は半世紀たった今、再度、検証する時期にあるのではないか。そして際限ない成長を止めるために政府部門が制御し、消費者の意識の変化が生まれるのではないか」という内容です。例えば文中、コトラー氏は「マーケターは、特に消費の無限の増加のために非難されるようになってきている。科学的手段を使って、消費者が無限に買い続けるようにするからだ。しかし、マーケターはそもそも自社の商品の消費を減速させるよう指示する立場にはない。自分たちの生活のために、際限なく消費を推し進めなければならない」と述べ自分自身のマーケティング論を自己批判をしているようにも読めます。
脱成長の基本は消費をよりコアなものに絞り込んでいくことです。先週の「今週のつぶやき」で取り上げた食糧問題で私は飽食の時代は終わったのではないか、と意見しましたが、このコトラー寄稿を読む前に書いたものでした。氏は「人々は必要以上のものを食べている」と指摘しています。あるいは私はミニマリストに近いのですが、コトラー氏も「人々は必要以上に洋服を買う」とし、「一部のファッション企業は数回しか着られない、あるいは急速に流行遅れになるような服をデザインする」と述べています。コトラー氏のこの発想はGDPの呪縛が世の中を狂わせたとみており、もっと別の指標があってもよいのではないか、と考えています。確かにGDPは国内経済成長率として成長し、その%が大きいほど良いと我々は何の疑いもなく考えています。この考え方をもう少し砕いて述べるなら人々の強欲(Greed)を抑え、もう少しフラットで人間らしい生活を求めるべきではないという提唱であります。
我々が住む現代は確かに様々な方面で目詰まりを起こしています。民主主義の在り方、権威主義との確執、資本主義も伝統の欧米型から中国型、北欧型、さらには日本型といった様々なスタイルが生まれ試行錯誤が繰り返されています。社会が進化し、地球環境が変化し、人々や国家のどん欲さが侵略を生むようになった今、人間社会の価値観は何なのか、じっくり考える時が来たとも言えます。(つづく)
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