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2022-07-14 00:00
(連載2)核兵器の自衛的使用の問題
倉西 雅子
政治学者
’あなた方には危険性があるので、核兵器は持ってなりません’と言われても、その言葉を快く受け止める国はありません。あるいは、’核兵器を持たなくても、私たちが核の拡散を防止しますし、核の傘も提供します’と説得されても、現実を見ますと、この約束も凡そ反故にされています。
NPTの不合理性や不条理を挙げれば切りがないのですが、もう一つ、新たな視点を加えるとしますと、核兵器は、有事に際して自衛を理由として使用されたという歴史がある点です。自衛的な核の使用とは、まさに第二次世界大戦における広島と長崎の事例です。両都市への原子爆弾の投下は、本土決戦に際して予測されるアメリカ軍将兵の死傷者を極力減らす、即ち、事前の自衛措置として決定されたと説明されています。言い換えますと、通常兵器による戦闘における自軍の犠牲者を完全になくすには、相手国に対して核兵器を使用する方が合理的ということになりましょう(しかも、民間人の殺傷を禁じる戦時国際法がありながら、原爆投下は正当化されてしまう…)。’核は残酷な兵器ではあっても、核の使用によって救われた命もあった’ということなのです。
この論理に鑑みますと、核の先制使用に対するハードルは低くなります。このため、核保有国と非核保有国との間の力学的なポジションの違いはより際立ちます。軍事力の二面性とは、有事に際しての攻撃力と平時における抑止力として説明されますが、核兵器の場合は、これに、非核保有国に対する有事における自衛力、つまり、相手国に対する反撃能力の破壊力や制圧力が加わります。ウクライナ危機にあっても、ロシアが劣勢に陥った場合に核兵器の使用が予測されますのも、核兵器にはこの効果があるからです。
アメリカが、核保有国のみが持ち得るオプションとしての有事に際しての自衛的使用を否定しますと、自らの原爆投下の誤りを認めることになりますので、アメリカが敢えて原爆投下の正当性を根底から揺るがすような自己否定をするとは思えません。また、他の核保有国も、この有利すぎる’特権’の保持を望むことでしょう。しかしながら、その一方で、大多数を占める中小諸国にとりましては、常に自国に対して核兵器が使用されるという脅威に晒され続けますので、NPT体制ほど、自国の安全保障にとりまして危険な体制はないということになります。8月に予定されているNPTの再検討会議において、言論の自由が保障される環境の下で議論が尽くされるならば、その結論は、やはりNPT体制の終焉なのではないかと思うのです。(おわり)
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