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2022-07-12 00:00
(連載2)驚愕の事件、安倍晋三氏の死去に想うこと
岡本 裕明
海外事業経営者
日本は国際会議も多く、次のG7は広島で開催されます。各国首脳は当然ながら「大丈夫なのか?」と思うはずです。ましては政治犯や思想犯が警備をかいくぐって犯行に及んだという感じには見えず、「この男は誰なんだ」という取り調べをしていると察します。とすれば似たような犯行はいつ何処ででも起きるというロジックになり、日本の弱体化の批判に甘んじるしかありません。当然、この批判は政権にも及ぶことになります。「ねじが緩んでいたのではないか」と。
犯人像に関してもう一点、気になる点があります。何処まで深い信念をもって犯行に及んだのかさっぱりわからないのですが、怨嗟、憎悪という重いものではなく、案外軽い気持ちではなかったかという気がしています。最近の社会事件に於いて簡単に犯罪に手を染め、殺人に及ぶケースが多くなっています。これは心理学、精神医学および社会学的に十分な分析、検証を行い、社会構造の変化とその対応に踏み込む必要があります。
個人的には自分の小さな欲望の達成とか、自己中心的思想といった一種のミーイズムが現代社会において以前にも増して強くなってきたとみています。昔は社会活動において一種の共同体意識があり、人と人が物理的につながっていたものの今はコロナがあったこともあり、スマホとオンラインで多くを達成でき、個人主義を増長する社会になっています。これは人による監視行動が弱まることを意味し、近所の人たちも無関心となる都市型の生活習慣が日本全国にまん延していることが要因ではないかと考えています。
思想犯でもなく、衝撃的行動というほどでもなく、なんとなくやったらできたとすればこれほど恐ろしいことはありません。日本の報道は死去といったやわらかい表現ですが、海外の報道は厳しく断じる「暗殺」という書き方です。この表現の違い一つにとっても日本のこの事件の受け止め方はまだ優しいと感じます。いまだ数少ない情報を基に想像するだけでもこれを驚愕と言わずしてなんと言えるのか、と思います。日本の歴史に残るこの事件、我々は決して風化させてはなりません。(おわり)
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