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2022-04-26 00:00
(連載1)「北方領土はウクライナ人が住民の4割」のなぜ
中村 仁
元全国紙記者
外務省は22年度版の外交青書で北方領土について「日本固有の領土であるのに、ロシアに不法占拠されている」と記述し、19年ぶりに「不法占拠」という表現を復活させました。北方領土返還を期待して、ロシアを刺激したくないとの遠慮があったのでしょう。そんな気遣いと無関係に、ロシアのウクライナ侵略で返還交渉は断絶しました。ロシアは極東で軍備増強を進め、北方領土に軍事基地を設営してます。国際情勢のよほどの激変がない限り、返還はありえません。 それとの関連で「北方領土の住民(1・7万人)の4割がなんとウクライナ人(ウクライナ系)」という指摘が聞かれるようになりました。北海道新聞が「島民の3人に1人がウクライナ出身」(15年8月)という記事を書いているそうですから、以前から知る人ぞ知るだったのでしょう。
それが俄然、注目されるようになったのは、「ウクライナ出身者による不法占拠が北方領土で続いているのに、そのウクライナを日本はなぜ支援するのか」という批判の浮上ががきっかけです。 「ゼレンスキー大統領の国会演説(3月23日)の際には、ウクライナ人は島を離れて日本に返還するよう呼びかけるべきだ。それを演説受け入れの条件にすべきだ」と主張する論者も現れました。私は「なぜそんなに大勢のウクライナ人が北方領土に住み着いているのだろう」と不思議な気持ちになりました。その理由が分からなければ、「そんなウクライナを支援すべきでない」という結論にもたどりつけません。そんなおり、書店で「物語ウクライナの歴史」(黒川祐次著、中央公論)を見つけ、読んでみました。著者は元外交官で、駐ウクライナ大使も務めました。初版は02年で、ウクライナ侵略で大増刷され、この4月には12版を数えたロングセラーです。
残念なことに、記述が1991年のウクライナ独立、ソ連の解体・消滅で終わっています。その後の歴史の流れには触れていません。それでも私が「なぜ」と思った疑問の説明につながる歴史的な経緯が分かります。「ロシア帝国内のウクライナでは、農民が1880年から20世紀はじめにかけて、ウラル山脈以東に大挙して移民した。帝国の国境を越えることは許されなかったので、中央アジア、シベリアにも移民し、最も多かったのははるか数千キロも離れたロシア極東だった」。
「1896ー1906年に160万人のウクライナ人が東方に移住した。その頃、シベリア鉄道が完成(1903年)したこともあった。1914年にはロシア極東地方では、ロシア人の2倍にあたる200万人のウクライナ人が定住していた」。「現在でもロシア極東の住民は、過半数がウクライナ人といわれる。移住から1世紀も経っているので、ウクライナ起源でありながら、自らをウクライナ人と意識せず、ロシア人と思っている者が多いらしい」。(つづく)
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